粟屋仙吉

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 略 歴

   1893.11.7      仙台市で父・粟屋頴祐、母・つちの次男として出生。

   1906.9        鳥取県立米子中学校に入学。

   1911.7        米子中学校を卒業。 

                この頃、牧師の勧めで内村鑑三の『聖書之研究』誌を読み始める。

   1913.9         第一高等学校独法科に入学。

   1916.7         第一高等学校卒業。

   1916.9         東京帝国大学法学部入学。

   1918.12        内村鑑三の講演をはじめて聴く。以後、内村の講演会を通じて信仰を学ぶ。

   1919.7         東京帝国大学卒業。

   1919.7          内務省に入り、広島県属、農務課兼商工課勤務となる。

   1919.10        高等試験(行政科)合格。

   1920.12        広島県警視、保安課長となる。

   1922.3         安藤八尾の長女・幸代と結婚。

   1922.6         広島県警務課長兼巡査教習所長となる。

   1923.1.30       長女・素子、出生。

   1923.3         広島県御調(みつぎ)郡長となる。

   1924.6         北海道庁理事官・教育兵事課長となる。

                札幌独立教会(当時の牧師:金澤常雄)に通う。

   1925. 5        北海道庁地方課長兼統計課長、都市計画課長となる。

   1926.1.5       二女・康子、出生。

   1927.12.25      長男・義之、出生。

   1928.8         内村鑑三の札幌訪問のとき北海道各地を案内、初めて個人的に話をする。

   1929.5.28       長男・義之、死去 *内村鑑三より電報でマタイ伝19章14節の聖句を贈られる。

   1929.7         高知県警察部長となる。

   1929.12.30      次男・剛、出生。

   1930.2         父・頴祐、死去。

   1930           塚本虎二が『聖書知識』誌を創刊、その読者となる。

   1931.1         愛知県警察部長となる。

   1931.6.9       次男・剛、死去。(塚本虎二の司式で告別式。)

   1931.12        内閣の更迭により休職、東京に移る。

   1932.5.12       三男・忍、出生。

   1932.6         大阪府警察部長となる。

   1933.6.17       「ゴー・ストップ事件」発生。

                   大阪市天神橋6丁目交差点(天六交差点)で曽根崎警察署巡査が交通整理をしていたところ、

                     陸軍第四師団第八連隊の兵隊が信号を無視して車道を横断したため、巡査が交番へ連行したが、

                     兵は「憲兵隊の言うことは聞くが、巡査の命令には従わない」と両人激論の末、交番で殴りあいと

                     なった。

                      当初はこれだけの小事件であったが、当時の井関第四師団参謀長がこれを「皇軍の威信」に

                     かかわる事件として取り上げたため、ジャーナリズムをにぎわす大事件に発展した。

                      軍側が「警官が陛下の軍隊を侮辱した」と主張したのに対して、粟屋は「軍人が陛下の軍人なら、

                     警察官も陛下の警察官である」と応酬して一歩も譲らなかった。

   1933.10.30       四男・忠、出生。

   1933.11.19      井関参謀長と粟屋警察部長の連名で共同声明が発表され、「ゴーストップ事件」

                 解決。

   1935.1         愛知県総務部長となる。

   1935.9.7       三女・近子、出生。

   1936.4         兵庫県総務部長となる。

   1937.7         大分県知事となる。

   1939.4         農林省経済厚生部長となる。

   1939.5         農林省水産局長となる。

   1941.1         馬政局長官となる。

   1942.3         依願退官。

   1943. 7         大蔵大臣賀屋興宣の懇請により広島市長となる。

                単身赴任。妻が東京と広島の間を往復。

   1944           病気のため東京の自宅で一時静養。

   1945.4         妻、広島へ移る。

   1945.6         三男・忍、広島へ移る。

   1945.8         妻・幸代、孫・坂間絢子を預かり広島に戻る。

   1945.8.6       原爆により、市長公舎で三男・忍、孫・坂間絢子とともに死去。

   1945.9.7       妻・幸代、原爆後遺症のため死去。

   1945.11.24      二女・康子、看病のため広島へ出向いたが敗血症(原爆後遺症と推定される)のため東京で死去。

   1945・12. 6      仙吉・幸代・忍・康子の合同告別式。(司式:山田鉄道、告別の辞:塚本虎二。)

                

                 (『粟屋仙吉の人と信仰』(津上毅一編.待晨堂.1966.)の「粟屋仙吉略年譜」(222〜235頁)

                      および同書内の記述にもとづき作成。)

 

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 参考文献

            

                『粟屋仙吉の人と信仰』. 津上毅一 編. 待晨堂. 1966.

                『昭和史ドキュメント ゴー・ストップ事件』. 朝野富三 著. 三一書房. 1989.

                『追悼 ―原爆にたおれた粟屋家の人々― 』.粟屋 忠 編集・発行. 1998.

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