伊藤祐之

目 次

              [ 略歴 ]  [ 主要信仰著書 ]  [ 参考文献 ]

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 略 歴

    1896.6. 17     陸軍砲兵大佐・伊藤弦の次男として広島市内に生まれる。

    1909          広島高等師範学校付属中学校入学。

    1915         第三高等学校入学。   

                YMCAに入会してキリスト教信仰をまなび、さらに内村鑑三や藤井武の存在を知る。

    1922          京都大学経済学部卒業。   

                (京大では、YMCAに入会。さらに労学会に入会して河上肇の指導を受け、また賀川豊彦の事業

                に奉仕し、西田天香の一燈園にも一年間在園。)

    1922          西南学院高等学部(現、西南学院大学)教授。かたわら、九州大学で哲学を専攻。 

    1925.8        福岡バプテスト教会で受洗。

    1926          御殿場東山荘で初めて藤井武に会い強い感銘をうけ、以後、終生の師と仰ぐ。

    1927.5.23      岩崎春江と結婚。

    1928. 8        長男・清幸、出生。

    1928          学生の院長排斥ストライキがあり、その解決にあたり理事会が不誠実のため、西南学院を辞し、

                 広島アライアンス教会牧師となる。

    1930          アライアンス神学校を卒業、同校教授となる。

    1931.6        次男・邦幸、出生。

    1931          上京し、佐藤定吉のイエスの僕会本部で奉仕、理事兼学生主事となる。

    1932          東洋使徒神学校(東京・目白)に教頭として赴任。

    1933. 7        処女作『マルクスよりイエスへの歩み』(向山堂)刊行。

                 (後に『マルクスよりキリストへ』と改題。)

    1933           佐藤定吉と袂別、イエスの僕会を解散。

    1933           藤井武の感化により、無教会主義独立伝道者として立つ。

    1933.10        月刊聖書研究個人雑誌『新シオン』を創刊、同時に、中野区江古田1丁目の自宅で

                 「江古田聖書塾」を主宰。

    1935           信仰短歌集『悲哀の人』を刊行。

    1936.4         三鷹村下連雀に転居。

    1937.1         「伊藤聖書研究会」を公開で始める。

    1937.11        藤井武七周年記念講演会(10月1日開催)の司会での祈祷を『新シオン』(11月発行、第48号)

                 に掲載したため発禁処分となり、治安当局の家宅捜索を受け、検事局送りとなる。

                 (翌年6月22日、不起訴処分となる。)

    1938.6         学生寮を開設。西荻窪3丁目に転居。

    1939.7         『新シオン』、第61号をもって廃刊。

    1939.12        『新シオン・巡礼通信』(不定期発行)創刊。

    1946.4         再び西南学院専門学校教授となり、新制大学昇格に尽力(1949. 4 大学昇格が実現。)

    1946           西福岡聖書研究会を主宰。

    1948.9          西南学院専門学校経済学科長のまま、同学院中学校長を兼ねる。

    1951           学園改革運動を起こし、翌年黎明塾を開く。

    1953. 4         広島女学院高等学校校長となる。

    1953           女学院の原爆犠牲者・慰霊塔除幕式での開幕の祈りが問題となる。

    1953. 11         広島女学院専任となり、西南学院を離れる。

    1954           広島市牛田町の自宅で牛田聖書研究会(後に「広島聖書研究会」と改称)を始める。

    1954           広島女学院大学教授。

    1955.3         中高一貫教育を実施するため、広島女学院中学校長を兼任。

    1956           広島女学院を辞職。

    1956           『苦難と人生』(三一書房)を刊行。

    1958.4          四国学院短大教授となり、四年制大学昇格に尽力

    1961           四国学院大学教授。善通寺聖書集会を主宰。

    1967           茨城キリスト教大学教授。 新シオン集会を主宰。

    1968.8          『忘れえぬ人々』(待晨堂)を刊行。

    1969.1. 17       脳内出血のため、水戸市渡里町の自宅で死去。

                  (遺体は慶応大学医学部解剖学教室に献体。)

    1969.1. 26       告別式(東京・戸山ハイツ・戸山教会)。

 

                〔下記の参考文献に基づき作成〕

                  参考文献:『内村鑑三を継承した人々(上)』(藤田若雄 編著、木鐸社、1977年)

                               「伊藤祐之」の項(24〜26頁、228〜233頁(いずれも執筆者:永井澄明))

                             『内村鑑三を継承した人々(下)』(藤田若雄 編著、木鐸社、1977年)

                               「伊藤祐之」の項(352〜363頁(執筆者:永井澄明))

                             『伊藤祐之追憶集』. 伊藤春江 編. 待晨堂. 1971.

                               「伊藤祐之略歴」(1〜4頁)および同書内の記述

                             『無教会史 U、V、W』(無教会史研究会 編著、新教出版社、1993、1995、2002年)

                                 

                                                                    [伊藤祐之 目次]   [ホームページ]


 主要信仰著書

                 『マルクスよりイエスへの歩み』. 向山堂書房. 1933.

                 『不思議を為し給ふ神』. 一粒社. 1934.

                 『苦難と人生』. 山一書房. 1956.

                 『忘れえぬ人々』. 待晨堂. 1968.

                 『資料 戦時下無教会主義者の証言』. オカノ ユキオ 編. キリスト教夜間講座出版局. 1973.

                      伊藤祐之集(237〜356頁)

 参考文献

                 『伊藤祐之追憶集』. 伊藤春江 編. 待晨堂. 1971.

 

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