「コイノニア」と呼ばれる生活の原型は、ユダヤ人の「ハブラ」(アラミ語)である。
これは過越節を祝うときの仲間のことであって、人数は十名を標準とした。
過越の夜、各家庭で一頭の恙羊を屠り、その夜の間に全部の肉を食べて
しまわねばならない。もし家族の人数が少いときは、隣家と共同で一つの羊を
屠るべきものとされた(出エジプト記十二の三、四参照)。こうして一頭の恙羊
を屠って一しょに食する仲間を、「ハブラ」と呼んだのである。イエスの信者たち
は、このハブラを原型として幾つかの小さいグループにわかれ、食事を共にし、
慰めあい、励ましあい、助けあい、施しをした。この交りを彼らは「コイノニア」と
呼んで、特に重んじたのである。
〔『矢内原忠雄全集』第6巻.600~601頁〕
コイノーニヤは人が父なる神と子なるイエス・キリストを信じて、それと霊的の
まぢわりを保つことである。これがコイノーニヤの第一義であって、即ち関係は専
ら垂直線的である。しかし斯く垂直線的な関係に入った人と人とのあいだには、お
のづから又水平線的の関係が起らないわけにはゆかない。即ちこれ謂ゆる兄弟
姉妹のあいだの交わりである。こゝにコイノーニヤの第二義が生起するのである。
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すべてイエスをキリストと信ずる者は、神より生れたものである。そしてキリスト
に在るものはまた神とともに在るのであって、即ちコイノーニヤに在るのである。
そしてコイノーニヤに在る上は神を愛する者であることは言うまでもない。すでに
神を愛する者である上は、同じく神より生れたところの兄弟姉妹をも愛するもので
なくてはならぬ。即ち縦のコイノーニヤのあるところには横のコイノーニヤの起る
べきことは当然である。斯くの如く、信者は神より生れた者であるという事実は、コ
イノーニヤをしてコイノーニヤたらしめるところの根本的原理であるのである。
然らば兄弟姉妹を愛すること、即ち横のコイノーニヤとは如何なるものであるか。
これは神を愛すること即ち縦のコイノーニヤの自然の結果である。即ち神を愛する
ものは、神の誡命を守るべきは当然のことである。神を愛すると言いながら、神の
誡命を守る心のない者があるならば、それはたゞ口先だけで神を愛すると言ってい
るのである。そして神を愛して神の誡命を守る者であるならば、その誡命の最も大
なるものとして兄弟愛即ち横のコイノーニヤの在ることを知っているべきである。
〔『畔上賢造著作集』第6巻.71~75頁〕
‥‥‥‥‥‥神とキリストとのコイノーニヤを賜っている者が互いにコイノーニヤ
に入るところに、キリスト教的友交の特質があり又その値がある。即ち上との関係が
この事の基本であって、横の関係は普通の場合における必然的随伴物である。然る
に世にはコイノーニヤの此本性を知らずして或は知りてもこれを無視して、ひたすらに
人間同士の関係のみに没頭するものがある。
〔『畔上賢造著作集』第6巻.459頁〕