齋藤宗次郎

目 次

                 [ 略歴 ]  [ 主要信仰著書 ]  [ 参考文献 ]

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  略 歴       

    1877.2.20     岩手県東和賀郡笹間村大字北笹間の曹洞宗渓雲山東光寺で、住職・轟東林・齋藤さだ

                の第四子として出生。

                (4歳の時に母が死去、後妻・こん、に育てられる。)

    1888         北笠間尋常小学校卒業。

                (高等小学校がなかったので、家で漢文や仏典を教えられる。)    

    1889         新設された稗貫高等小学校へ入学。

                花巻里川口町の小瀬川新太郎方(養母・こんの実家)へ寄寓。

    1890          養母・こん、死去。

    1891         齋藤の成績優秀をねたんだ上級生による恋文偽造事件のため、3日間の自宅謹慎を

                命じられる。そのため、養父・齋藤武次郎(母の甥)方に寄寓先を移す。

                (これが機縁で、齋藤武次郎・てふ、の養子となる。)

    1892          高等小学校4年のとき、校長から不敬事件につき内村鑑三の国賊たることを教えられる。

    1893          高等小学校を首席で卒業。

    1894          岩手県立尋常師範学校に入学。

                  (間もなく養母・てふ死去。)

    1896          友人の勧めで内村鑑三の『地理学考』を読み、内村に尊敬の念を抱く。

    1898. 1. 7      清水スエ(天台宗清水寺住職・清水宗諒の次女)と無理やり結婚させられる。

                 (妻・スエは、その後の齊藤の熱心な指導によりキリスト教に回心。)

    1898. 3        岩手県立尋常師範学校卒業。

    1898. 4        花巻里川口尋常小学校教諭となり、分教場で教鞭をとる。

    1898. 6         「六週間現役兵」として弘前の歩兵第31連隊に入隊、幹部適任証第一号をうける。

    1898. 11        内村鑑三の『東京独立雑誌』第14号を読み、強い感動を受ける。

    1899. 3         初めて内村鑑三に手紙を出す。

                  (これより急速に内村へ傾斜し、内村の著書をむさぼるように読み始める。)

    1900. 1         仙台市の病院に入院中、牧師から勧められて新約聖書を買う。

    1900. 7         小学校での授業中に大喀血。

    1900. 8         療養のため宮城県・菖蒲田海水浴場へ行き、そこでカナダ・バプテスト宣教師ジョンスを知る。

    1900. 9         内村鑑三の『聖書之研究』第一号を手にして、初めて聖書研究の必要性を痛感するとともに、

                  キリスト信者として立つことを決心する。

    1900. 12. 12      ジョンスより受洗。

    1901. 2. 15       長女・愛子出生。

    1901. 3         キリスト教の熱烈な伝道を行ったため、仏教界からの迫害が起こり、実父と兄から破門絶縁される。

                  また、一時、養父・武次郎によって、養家を出される。

    1901. 4          教室で生徒たちへ激しいキリスト教教育を行ったため、稗貫郡宮野目尋常高等小学校へ左遷される。

    1901. 8          「理想団」の団員となる。

    1901. 10         盛岡の旅館で内村鑑三と初めて対面。

    1902. 1.2       養父・武次郎死去。

    1902. 6.22       学校でのキリスト教教育が各方面からの非難を招き、生徒の作文内容を口実に、

                   二カ年間の休職を命ぜられる。

    1902. 6. 23       実父・東林、死去。

    1902. 8          内村鑑三の第三回夏期講談会に出席中、二回目の大喀血。

    1902. 9          内村鑑三の第二回札幌伝道に随行中、三回目の大喀血。

    1903. 7          教会より脱退独立。

    1903. 12. 6       非戦論に殉じるため、銃殺覚悟で徴兵検査において兵役拒否と納税拒否を述べる

                   決心をし、手紙で内村鑑三に相談する。

    1903. 12. 19       内村鑑三が花巻へ来て、真理と真理の応用を混同してはならぬ、と齋藤を説得。

    1904.1           四回目の大喀血。

    1904. 2           内村鑑三から勧められた 「化合酸素」吸入療法で健康が回復に向かう。

    1904. 4          休職期間が終わるため、慢性気管支カタルの診断書を添えた退職願を提出して退職。

                    (以後、近隣各地への伝道に専念する。)

    1905. 1. 2         「求康堂」書店を開店。

                    (後に、新聞取次業も始める。)

    1905. 3. 24        次女・多祈子、出生。

    1905. 4           教職を去ったため六週間現役兵の特典が自動的に消滅、徴兵検査を受け直して

                    第二乙種歩兵合格。

    1905. 9           花巻教友会を組織。

    1908. 5           妻・スエ、仙台の病院へ入院。

    1908. 11. 3         長女・愛子、天長節祝賀式の式場で、「ヤソ教徒の娘だ」と男子生徒の肘で強く腹部を打たれ、

                    これが原因で腹膜炎となる。

    1909. 1. 1          隣家のろうそく工場より失火。消防夫により家を壊される。

                    (養母の情夫が子分の消防夫に故意にやらせたもの。)

    1909. 4. 15         長女・愛子死去。

    1909. 11           賃貸中の水車小屋が賃借人の放火のため全焼。

    1910              養母・スミが斉藤の印鑑を盗用して作った多額の借金を整理するため、

                     家屋敷・書店を処分。

    1912. 8. 19         妻・スエ、死去。

    1913.12. 16         川島晟耕三女・仁志(ひとし)と浅野猶三郎の司式で再婚。

                     (内村鑑三は、この結婚に反対。)

    1922. 4            次女・多祈子、東京女子大英文科に入学。大手町・内村聖書講演会の会員となる。

    1923. 8 .1          次女・多祈子、鈴木茂夫と結婚(婿養子)。

    1924.3. 25          次女・多祈子、内村鑑三から洗礼を受ける。

    1926.9             花巻の事業・資産の全てを処分して上京、茂夫一家の住む杉並町成宗に新居を構える。

                      (東京移転後は、畑仕事に従事するとともに、雑誌の発送事務・今井館聖書講堂におけ

                       る集会の世話など内村鑑三の仕事を助ける。)

    1928.12.22          内村鑑三に無断で小山内薫へ手紙を出し、謹慎を命じられる。

    1929.1.30          謹慎を解かれ、再び内村鑑三から、聖書講堂の整理や雑誌発送事務等をまかせられる。

    1930. 3             内村鑑三の病状が急速に悪化、病室の隣に泊り込み日夜看護につくすとともに、

                      最後の時までの状況を詳細に記録する。

    1930. 11             内村鑑三全集(岩波書店版)編集実務委員を鈴木俊郎と共に委嘱され、

                      1933年12月全20巻完了まで、編集実務に献身的に従事する。

                      また、この間の記録を「編集日記」(全2巻)にまとめる。(未刊行)

    1934. 4             教友会が月刊誌『基督信徒之友』を創刊し、その編集発行兼印刷人となる。

                      (雑誌発行のかたわら、結核療養所・癩療養所への慰問・伝道を始める。)

    1937.3.2           警視庁特高警察部特高第二課第一係長による無教会調査を受ける。

                      (この頃から、『無教会信徒之友』誌の記事について、警視庁検閲課へ出頭し、

                      厳しい訊問を受けるようになる。)

    1937.3.4            「教友会」代表者として、今井館聖書講堂の講堂設立許可願を東京府知事へ提出。

                      (その後、今井館聖書講堂の代表者として、文部省に数回出頭して、無教会信仰

                      について説明。)

    1937. 10             『愛の朱線(内村鑑三先生)』完了。(未刊行)

    1938. 7             『恩師言 第二・第三巻』完了。

    1941.12.23          陸軍参謀本部の名によって、東京憲兵隊本部に召喚され、内村鑑三の日露戦争当時

                      の非戦主義について説明。

    1942. 5. 17           「教友会」代表者として、「今井館聖書講堂教会規則要綱」を東京府知事あて提出。

                      (文部省の無教会集会の教会化という行政指導に一旦応じたものであるが、12月21日に

                      教会規則の取下願を提出、翌年1月26日付で教会解散の認可を受ける。)

    1943. 9              『基督信徒之友』、紙の配給量不足のため第114号をもって終刊。

    1950                『内村鑑三並に斉藤二荊年譜』(全1巻)完了。(未刊行)

    1952                『一日一地点・第一・第二・第三』(全3巻)完了。(未刊行)

    1953. 4               『恩師言 第一巻』完了。

    1953.8               『聴講五年 上・中・下』(全3巻)完了。(未刊行)

    1957. 4              『内村鑑三先生之足跡』(全6巻)完了。(未刊行)

    1957. 9               腎臓周囲炎で入院。

    1957. 12              『花巻非戦論事件における内村鑑三先生の教訓』(クリスチャン・ホーム社)刊行。

    1958. 7              湿性肋膜炎で4ヶ月入院。

    1959. 3              『二荊自叙伝』(全40巻、出生より1938年12月25日までの記録)を書き始める。(未完、未刊行)

    1961. 7               肺浸潤と診断され通院治療。

    1963. 10              内村文庫に納める「内村鑑三先生写真帖」完了。

    1964. 3               『ある日の内村鑑三先生』(教文館)刊行。

    1966. 2               内村鑑三全集(教文館版)の「年譜・総索引」完了。

    1967. 12. 5            1898年4月から一日も休まずに綴り続けた日記を、この日を最後に止める。

    1967. 12              流感から肺炎を併発。

    1968. 1. 2            死去。

    1968. 1. 3             納棺式(司式:山本泰次郎)。通夜。

    1968. 1. 4            出棺式(式辞:藤本武平二)。

    1968. 1. 7            告別式(今井館聖書講堂、司式:石原兵永)。

    1968. 4. 7            埋骨式(小平霊園齋藤家墓所、司式:齋藤茂夫)。

 

                    〔『内村鑑三とひとりの弟子 ―斉藤宗次郎あての書簡による』(山本泰次郎著.教文館.1981)、

                         『甦りの朝を望みて 齊藤宗次郎追憶集』(齊藤茂夫編集発行.1968)及び『無教会史U』

                         (無教会史研究会編著.新教出版社.1993)の各記述を参考に作成。〕

 

                                                                      [齋藤宗次郎 目次]    [ホームページ]


 主要信仰著書

                  『花巻非戦論事件における内村鑑三先生の教訓』. 牧歌社. 1962(再販)

                  『ある日の内村鑑三先生』. 教文館. 1964.

               『恩師言 ―内村鑑三言行録・ひとりの弟子による 』. 教文館. 1986.

                  『二荊自叙伝 (上)(下)』. 栗原 敦・山折哲雄 編. 岩波書店. 2005.

 参考文献

                  『甦りの朝を望みて 齊藤宗次郎追憶集 』. 齊藤茂夫 編集発行. 1968.

                  『内村鑑三とひとりの弟子 ―斉藤宗次郎あての書簡による 』. 山本泰次郎 著. 教文館. 1981.

               『斎藤宗次郎と宮沢賢治の交友』. 照井謹二郎 編. 善隣館書店 発売. 1987.

 

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