1890. 5. 23 山形県西田川郡西郷村字西茨新田で、父・佐藤桃次郎(婿養子、農業)、母・金(かね)
の長男として出生。
1893. 1 父、死去。
1896. 4 長崎尋常小学校入学。
1900. 4 東郷村高等小学校入学。
1903. 4 山形県立庄内農学校予科入学。
1904.4 山形県立庄内農学校本科1年に進む。
1905 本科2年の頃寄宿舎に入り、諏訪順次郎と友達になる。
1907. 3 庄内農学校を4位の成績で卒業。
母の反対で上級学校進学を諦め、以後家業の農業に専心。
1909 祖父の頼みで相続権を放棄。
1910 諏訪順次郎の妹・ゆきと婚約。
1910 徴兵検査をうけ山砲兵甲種合格。
1910.12 青森歩兵第五連隊に一年志願兵として入隊(1912年2月除隊帰宅)。
1912. 6. 15 諏訪ゆきと結婚、「諏訪」に改姓(婿養子、分家)。住所を上郷村大字西目に移す。
妻の机上に金森通倫著『基督教三綱領』を見つけ、妻の心からキリスト教を根絶
するために読む。
1913. 4. 23 長男・英一、出生。
1914. 2 義兄・順次郎から内村鑑三の『聖書之研究』が送られ始める。
1914. 2 内村鑑三著『基督信徒の慰め』・『研究十年』を注文し読み始める。
1914. 9 旧約聖書を創世記1章から読み始める。
1914. 10 新約聖書をマタイ伝1章から読み始める。
1914. 12. 2 長女・牧子、出生。
1915. 2. 12 初めて「肺腑よりの大祈祷」をなす。
1915. 2. 28 風邪がもとで咽喉より突然多量の吐血。
1915. 3. 16 再び吐血。「右肺尖弱し」と診断され肺病の宣告と受け止める。
1915. 3. 17 病床にて「転死回生」を経験。聖書を新規にマタイ伝第1章から読み始める。
1915. 9 鶴岡町での内村鑑三の聖書講演会に出席するとともに、個人的にも内村鑑三に面会し、
伝道の勧めをうける。
1915. 10 鶴岡町家中新町へ移転。若葉町の基督教会へ出席するようになる。
1916. 10. 3 次女・知恵、出生。
1916. 10. 10 妻、産褥熱による高熱のため突然発狂。
1916. 11. 10 妻を東京の病院へ入院させる。以後、6ヶ月間付添い看護に務める。
1916. 11. 12 山室軍平の講演会に初めて出席。
1916. 11. 19 内村鑑三の日曜集会へ初めて出席。
1917. 4. 9 内村鑑三からバプテスマを受ける。
1917. 4. 27 妻を伴い鶴岡に帰る。
1917. 6. 1 本家の帳場に事務処理者として勤務。
1917. 6. 13 義祖母を相手に初めての聖書講義を始める。
1917. 8 山形歩兵連隊へ教育召集をうけて入隊。
1918. 4. 4 妻、長女をつれて家出。義兄が上野駅で追いつき脳病院へ入院させる。
1918. 6. 13 次女、里親のもとで病死。
1918. 7. 5 鶴岡公園での伝道に参加。
1919. 3. 20 母、死去。
1919. 9. 9 「聖句類集」新約の部の作成にかかる(翌年12月完成)。
1921 若葉町教会の聖書講義を受け持つ。
1922. 7. 12 妻を退院帰宅させ、以後、自宅の檻置室で過ごさせる。
1923. 7. 8 大山町で聖書研究会(「ベタニヤ会」)を始める。
1923. 7. 24 自宅で公開の聖書研究会(「火曜会」)を始める。
1924. 9. 7 ベタニヤ会主催の路傍伝道を始める。
1924. 11. 2 集会員にバプテスマを施す。
1924 教会に合流を試みる。
1925. 9. 6 農村伝道第1巡回第1年目開始(12月29日終了)。
1926. 1. 17 農村伝道第1巡回第2年目開始。
1926. 7. 25 長男、脊髄骨骨髄炎発病(11月8日まで入院)。
1927. 4. 3 農村伝道第1巡回第3年目開始(11月29日終了)。
1928. 4. 1 農村伝道第1巡回第4年目開始(11月27日終了)。
1928. 12. 1 山形県の方面委員(民生委員)に任命される(1948年まで務める)。
1929. 3. 31 農村伝道第1巡回第5年目開始(7月9日第1巡回を終了)。
1929. 9. 1 農村伝道第2巡回第1年目開始(12月22日終了)。
1930. 4. 1 農村伝道第2巡回第2年目開始(11月27日第2巡回を終了)。
1930. 5. 13 集会員にバプテスマを施す。
1931. 5. 21 農村伝道(第7年目)開始(11月19日農村伝道全体を終了)。
1931. 9. 10 『判り易いマタイ伝解釈』を名古屋・一粒社から刊行。
1932. 6. 19 日曜集会(同志の自宅を巡回)を再開。
1946. 4. 7 自宅で聖書集会開始。
1946. 5. 13 長男、スマトラから引き揚げ。
1946. 5. 14 妻、死去。
1947. 10 聖書集会の会場を若葉町教会に移す。
1948. 3. 28 集会員にバプテスマを授ける。
1948. 5 若葉町教会に専任牧師赴任したため、聖書集会の会場を集会員宅に移す。
1948. 8. 6 集会の規約を総会を開いて議決し、会の名称を「鶴岡聖書研究会」とする。
1955. 1. 10 『信仰一人旅(田舎基督者の還暦回顧録)』を聖泉会から刊行。
1955. 11. 7 「第1次大巡回伝道」開始(前後4回旅行、訪問地35ヶ所、講演回数70回、
旅行日数67日、翌年7月10日終了)。
1959. 4. 22 「第2次大巡回伝道」の途につく。
1961.8. 6 右乳癌の手術をうける。
1968. 4 国立工専学生を対象に「イエス伝の学び」開講(1969年12月終講)。
1973. 1 集会での公的伝道活動から引退。
1974. 9. 25
農学校時代から続けていた日記がこの日をもって途絶える。
1975. 1. 10
『信仰一人旅』(復刻版)がキリスト教図書出版社から刊行。
1975. 1. 26 鶴岡の自宅で死去。
1975. 2. 1 鶴岡教会で告別式(司式:鶴岡教会牧師)。
『信仰一人旅』. 諏訪熊太郎 著. キリスト教図書出版社. 1975.
『諏訪熊太郎 ―遺稿と回想 』. 久保伊作・後藤岩吉・森田外雄 編. キリスト教図書出版社. 1981.