植木良佐

目 次

              [ 祈り ]  [  ]  [ キリスト教 ]  [ 十字架 ]  [ 信仰生活 ]  

             [ 略歴 ]  [ 主要信仰著書 ]  [ 参考文献 ]

 

                          〔注〕『植木良佐君』‥‥『植木良佐君』.編集兼発行者 鶴田雅二.発行所 植木良佐文集刊行会.1938.

                                   『ちとせのいは』‥‥『ちとせのいは』.著者 植木良佐.編者 斉藤 茂.発行所 待晨堂書店.1953.

                                                                                     [ホームページ]


 祈 り

           祈は単なる希願のみではない。神との交である。真の祈はキリストの心をもて神と

          語ることである。云い換えれば祈は自己をなくすることである。己の汚れた心をキリ

          ストの霊に洗い流されて、聖前に語ることである。

                                            (『ちとせのいは』 64頁)

 

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           神様は欲が深い。一度自分のものと決めた者は、隅の隅まで自分のものとしなけ

          れば承知し給わない。一度神様に降参したらもう駄目である。何から何まで取り上げ

          られて了(しま)う。此の位は大目に見て下すっても、と思っても許して下さらない。

             ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

           一度神の懐に入った者は、もう逃出す事は出来ない。否応(いやおう)なしに神のもの

          にされる。

           好い加減でよう御座いますと云っても、神様は承知なさらない。不完全で結構ですと

          云っても、無理やり思い通りのものに、こしらえ上げ給う。つまらない事を望んで来た

          者に、大変なものを与え給う。

                                              (『ちとせのいは』 199頁)

 

                                                                     [植木良佐 目次]  [ホームページ]


 キリスト教

           何が明白だと云って、キリスト教が此世の宗教でないと云う事程明白な事はない。

           自分の生命を憎まなければ我が弟子にはなれないと、キリストは明白に云い給うた。

          我等はキリストと共に十字架につけられた。我等は死んだ者である。我等の生命はキ

          リストと共に神の中に隠れて居る、とパウロは繰り返し書き送った。

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

           若(も)し我等が本当に、我等の国籍が天にある事を忘れなかったら、我等のわづら

          はしい日常の仕事は、十分の一で足りるだろう。思い煩い、紛争、虚偽、あらゆる厭な

          事の大部分が消え去るであろう。

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

           我等の生活は此世の生活ではない。我等は此世に関心を持ってはならない。

           キリスト教は天国の宗教である。此世に生きて居ない者だけの宗教である。

                                          (『ちとせのいは』 182〜184頁)

 

                                                                     [植木良佐 目次]  [ホームページ]

 


 十字架

            人の世では、人は人の心を持って住むべきである。然(しか)るにそれが、おおけな

           くも神の心を持つ。其(その)人は十字架を負わねばならぬ。

            神の義は曲がらない。世の力もひた押しに押す。其間に身を差し入れて、潰されて

           死ぬ。十字架である。

              ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

            イエスは我らに十字架を負えと云い給う。押し潰されよと云い給う。

              ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

            十字架の生涯とは、神の力の標準によって生きる生涯である。

                                         (『ちとせのいは』 230〜231頁)

 

                                                                      [植木良佐 目次]  [ホームページ]


 信仰生活

           一日から一日へ、一時から一時へ、不絶(たえず)上からの霊が心の中を流れ通って

          居なければ信仰は冷える。その間に地獄の風が吹き込む。少しの停滞もなく、常に新

          らしく、常に進みつつ、我等はあらねばならぬ。

                                             (『ちとせのいは』 51頁)

 

              複雑な人生の旅路に私共の仕事は余(あま)りに多く、荷は余りに重く、信者としての

          路が如何(いか)にある可(べ)きものかわからなくなります時にも、私共の責任は凡(すべ)

          て頭(かしら)なるキリストの責任であり、私共の仕事は凡てキリストの仕事でありまして、

          私共は只(ただ)己れの存在を忘れてキリストの存在をのみ念頭におけば、私共のなす

          べき事の全部が果さるる事を知るのであります。‥‥‥‥‥‥己がキリストの体である

          事を信ずる事、己の凡てがキリストの中にある事を信ずること、これが信者のなすべき

          全部であり、あるべき状態、健康状態であります。

                                              (『ちとせのいは』 55頁)

 

              人生行路難、信仰の先輩と思う人々、友とする人々が次第に所謂(いわゆる)うまい世渡

          りをするのを見せられ、己の狭い路が愈々(いよいよ)険しくなる時、私共は矢張(やは)り大

          勢(たいせい)に従って行くのが利口な途だと思い度(た)くなる、彼等の嘲りの眼に堪えられ

          なくて同じ路に歩みたくなる。

           それからのがれることが出来てもまだ私共の眼は自分から離れない、自分の努力、自力

          の修養、自分の徳、それらによって芋蟲(いもむし)共を見下して潔い生涯に入り度いと思う。

           然(しか)しそれは到底(とうてい)駄目である、臍(へそ)はいくら磨いても臍である。結局偽善

          なる傲慢に終るか、正直な厭世に終るのみである。

           ‥‥‥‥‥‥‥キリストが十字架に於て我らを芋蟲の境涯から引上げ蛹(さなぎ)の殻を

          破り給う。キリストの義なる翅(つばさ)が与えられて我らは全く自由に空かけることが出来る。

          最早(もはや)十字架に死んだ我らは世の人と共に流るる必要はない、其(その)嘲りも恐るる

          に足りない、彼等は暫時、我らは 永遠である。

           罪に生れ罪に育った我らの己れを責むる必要はない、キリストが我らの凡てである、最早

          神の他に我らの対象はない、四辺も見ない、己をも見ない、唯(ただ)神のみを見る、神にうつ

          して世を見、己を見る、これが第三の世界である。

                                             (『ちとせのいは』 80〜81頁)

 

             クリスチンは、何としても此世と喧嘩しなければ生きて行けない。

          此世と云うものは、我等を馬鹿にするか、憎むか、二つに一つの態度しか採り得ない。

          世と喧嘩せずにうまくやって居ると思って居るクリスチンは、クリスチンでないのか、馬鹿な

         のか、どちらかである。

          自分では信仰があると思っても、実は無い人がある。そんな人は喧嘩しないですむ。

                                              (『ちとせのいは』 213頁)

 

                                                                     [植木良佐 目次]  [ホームページ]


 略 歴

    1894. 1. 11    千葉県印旛郡佐倉町で父・士族陸軍1等軍医・植木銕衞および母・鋼子の

               長男として出生。幼少の頃、一家東京へ転居。

    1900. 4       東京青山にて尋常小学校入学。まもなく、熊本県に転居。

               後、福岡県田川郡弓削田村三井田川炭坑医局社宅に転居。

    1906. 3       弓削田高等小学校第2学年修了。

    1906. 4       福岡県立豊津中学校入学。同校寄宿舎に入る。

    1907. 12. 15   姉・高子、18歳で死去。

    1911. 3       豊津中学校卒業。

    1911. 9       熊本第五高等学校第三部入学。

    1912. 8. 4     母・鋼子、死去。

    1913        冬、急性肺炎のため第2学年を一ヵ年休学。

    1914.4. 23    大野隆(たか)子を養母として迎える。

    1914. 5. 30    第五高等学校基督教青年会(「花陵会」)の会員となる。

    1914. 10. 27    熊本市草葉町・組合熊本基督教会で和田信次牧師より受洗。

    1915. 7       第五高等学校第三部卒業。

    1915         坂田祐の紹介で高田運吉とともに内村鑑三を訪問し入門を請うが、

               『聖書之研究』を1年間熟読して準備するよう要求される。

    1915. 9       東京帝国大学医科大学入学。

    1916. 7. 28    父・銕衞、死去。

    1916         夏、内村聖書研究会に入会を許される。

    1916. 9. 13    佐倉の家を片付けて上京。

                養母と上京後は、高田運吉が寄寓、3人で内村鑑三の集会に出席。

    1916. 12. 13    東京市外滝野川町西ヶ原315番地に居を定める。

    1917. 1. 28    「白雨会」会員となる。

    1917. 8       夏、養母と内村鑑三の集会(御殿場・東山荘)に出席。

    1917. 9       養母、柏木の内村鑑三集会に入会。

    1919.12. 24    東京帝国大学医学部卒業。ただちに同大学衛生学教室に入る。

    1920.4. 10     神奈川県茅ヶ崎南湖院医局に勤務。

    1921. 7       東京帝国大学衛生学教室に戻る。

    1921. 11. 14    内務省衛生試験所技師を拝命、東京衛生試験所に勤務。

    1923. 1       『ちとせのいは』誌同人となり、以後毎号同誌に執筆。

    1923. 7       内務省衛生試験所技師を辞職。

    1923. 8. 1     東京帝国大学医学部副手嘱託、同付属病院小石川分院に勤務。

    1925. 8. 31    東京帝国大学医学部助手を拝命。

    1928. 8. 11     医学博士の学位を取得。

    1929. 2. 15    東京帝国大学医学部助手を辞し、財団法人賛育会錦糸病院内科部長に就任。

    1929. 6.23    内村聖書研究会で講演。

    1929. 10       『聖書之研究』第351号に寄稿。

    1929. 10. 20    東京丸の内の塚本虎二聖書研究会へ第1回より出席。

    1930. 1. 19     内村聖書研究会で講演。

    1930. 2       『聖書之研究』第355号に寄稿。

    1930. 2. 23     内村聖書研究会で講演。

    1930. 3        『聖書之研究』第356号に寄稿。

    1930. 3. 11     藤井武の司式で、病気の梅本好枝と結婚。

                (新婦は病床より式場の藤井武宅に運ばれる。)

    1930. 3. 23     内村聖書研究会で講演。

    1930. 4        『聖書之研究』第357号・終刊号に寄稿。

    1930.         春、妻の静養のため千葉の海岸近くに暫く住み、ここより本所の病院へ通う。

      (1930.7.14     藤井武、死去。その主治医として最善を尽す。)

    1931. 4        秋本秀男(『ちとせのいは』同人)の死去により、『ちとせのいは』誌の編集兼発行人となる。

    1931. 11. 20    中山博一と秋本秀男の遺稿『待晨』を出版。

    1933. 2. 27      妻・好枝、死去。

    1933. 3.1      柏木聖書講堂での妻の告別式を、予定のプログラムを急きょ変更して自ら司式。

    1933. 7. 31      賛育会病院を辞職。但し同病院での毎週1回の聖書講義は継続。

    1933. 8. 13      芝区三田豊岡町へ転居。医を副業とし聖書の研究に専念。

    1934. 2         『旧約知識』の編集に専念するため『ちとせのいは』誌を98号をもって廃刊。

    1934. 2. 27      夫人の一周年記念日以後、全く医業を廃業して聖書の研究に専念。

    1934. 3. 24     向貞子遺稿集『下草』を出版。

    1934. 4. 15      塚本虎二と『旧約知識』を創刊。(実質上の編集・発行は植木が担当。)

    1934. 10. 25     麻布区本村町201に転居。

    1935. 1. 27      横浜旧約聖書研究会主催の公開講演会で講演。

                  以後、毎月1回の予定で詩篇10回講演を始める。

    1935. 5. 11      賛育会病院の聖書講義より帰りて病床につく。右側肋膜炎と診断。

    1935. 5. 16      高熱を押して第4回詩篇講演。(医師が注射器携帯で同道。これが終講となる。)

    1935. 10. 2      腹膜炎を併発。

    1935. 11. 7      左側肋膜炎を併発。

    1936. 2         『旧約知識』の編集事務を辞す。但し毎号執筆を継続。

    1936. 5. 28      腸閉塞を起こし、一時危機に瀕す。

    1936. 8. 23      心嚢炎を併発。

    1936. 9. 3       殆ど絶望状態に陥る。枕頭の一人一人に遺言。

    1936. 9. 4       持ち直す。午後、『聖書知識』9月号が届き、自分で読む。

    1936. 10. 3       『聖書知識』10月号届く。目が見えず逆さまに読む。

    1936. 10. 14      夜、猛烈な全身の苦悶が刻々に増強、絶頂に達する。

    1936. 10. 15      午前6時35分、自宅で死去。43歳。

                  午後8時、納棺式感話会。

    1936. 10. 17      午後1時、青山会館講堂で告別式。

    1936. 12         『旧約知識』第17号「植木良佐君記念号」発行。

    1937. 10. 15      『植木良佐文集(上巻)』刊行。

    1937. 10. 17      植木良佐一周年記念講演会(丸之内保険協会講堂)。

    1937. 12. 23      『植木良佐文集(下巻)』刊行。

    1938. 4. 5        追憶文集『植木良佐君』刊行。

    1938. 5.1        夫人の遺骨と共に、多摩墓地第10区第12側3番1に埋骨。

                        〔「故人年譜」(『植木良佐君』289〜296頁)および「著者年譜」(『ちとせのいは』末尾記載)

                               ならびに両書の記述にもとづき作成。〕

                                                                     

                                                                         [植木良佐 目次]  [ホームページ]


   主要信仰著書                                                             

                   『植木良佐文集』(上・下巻2冊). 塚本虎二 編集兼発行. 植木良佐文集刊行会. 1937.

                   『ちとせのいは』. 植木良佐 著. 斉藤 茂 編. 待晨堂書店. 1953.

                   『植木良佐 ―聖書・信仰短言・日記他― 』. 伊藤 進 編. キリスト教図書出版社(無教会文庫36). 1993.

                       * 底本:上記『植木良佐文集』


  参考文献

                   『植木良佐君』. 鶴田雅二 編. 植木良佐文集刊行会. 1938.

                                                         

                                                             [植木良佐 目次]  [ホームページ]


                                     

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