[ 祈り ] [ 信仰 ] [ クリスチャン ] [ ひとり立つ ] [ 伝道 ] [ 福音 ]
〔注〕 『選集』‥‥『金澤常雄著作選集』 発行所 金澤常雄著作選集刊行会
○ 我らの小さき祈がどうして大なる神の御前に到達し得るのであろうか。それは
イエスが執成(とりな)し給うからである。「イエスの御名(みな)」によりて祈ること
の深き意義がこゝにある。
○ 我らの小さき祈がイエスの祈となって御父(みちゝ)の許に運ばれる。さればこそ
我らの小さき祈が神をも動かす。
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○ 日々に祈る人は必ず知る、神は今も奇跡の神であり給うことを。
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○ 私の愛する者への最善の贈物は何であろうか。それは物ではない。私の心だ、
否、私の信仰だ、否祈(いのり)だ。
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○ 世の務(つとめ)が忙しく、其の責任が重ければ重いだけ祈が必要である。
(『選集』第3巻.305~307頁)
信仰は思索や瞑想や哲学的体験とは異う。信仰は意志の問題である。神の聖前に
自己の不義を痛感した者が神に向って之を正直に告白して御手による救いを求むる
ことである。
(『選集』第1巻.105頁)
神は祭物を悦び給わない。砕けたる霊魂! 神はこれをもとめ給う。‥‥‥‥‥
然(しか)るに多くの人は此の真理を曉(さと)らない。即ち赤裸々となりて自己を神の御
前(みまえ)に投げ出すことが人間の生きる唯一の義(ただ)しき途なることを曉らない。
常に神を敬遠するのである。故に自己の心は大切に保持しながら自己以外の物を以
て神に仕えんとするのである。
(『選集』第1巻.108頁)
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また我々の信仰は先生によって得られるものでない。また教会によって与えられる
ものでもない。勿論(もちろん)、先生や教会や講演や著書等によって神に導かれること
はあっても是(これ)らのものによって信仰を与えられるのではない。人は人に信仰を与
え得ない。絶対に不可能である。神のみが人の心を神に結びキリストのみが人に信仰
を与え給う。自分の心が人を介することなしに、また教会を経由することなしに直接に
キリストに結びつかなければならない。こういう信仰に立って始めて独立自由がある。
またこゝにこそ真の能力と平安とがある。
(『選集』第2巻.167~168頁)
我らの信仰の原動力は神であり給う。我ら自身ではない。我は神に見出され、神に
召され神に愛され神に捉えられし者である。それ故にこそ此の不信の我も神を父とし
て仰ぐ事が出来、この神を愛し奉ることが出来、神の御手にあることを疑い得ないの
である。私の信仰の立脚地は私の内になくて神にある。それ故に私は平安である。実
に真実なる信仰と偽の信仰との区別は信仰の土台を神の側に置くか自己の側に置く
かの差異にあるのである。
(『選集』第2巻.252頁)
そもそもクリスチャンとは誰であるか。彼は神の言なくしては生きることの出来ない者
である。彼はキリスト以外のものによりては生きる甲斐なき者である。実際、上よりの光
を与えられし者は斯くならざるを得ない。私は今や益々そう信ぜしめらる。何となればク
リスチャンとは永遠不動の確信とか俯仰天地に恥ぢずとかいう種類の自覚に生きる者
ではなくて、たゞ神の聖言によりて生きている者でありこの光を失うとき全き惨めさと弱さ
の中に落込む者にすぎない。世に対してはいざ知らず、神に対しては決して堂々と歩む
者ではない。しどろもどろの歩みが多いのである。ただ日毎に、時々刻々とキリストの御
手に引かれて歩む者にすぎない。
(『選集』第1巻.31頁)
今の悪しき世にありて真実を貫かんとせば孤独は当然の糧(かて)である。失敗は神に
従う者の真の途である。十字架こそ真理の証者が世より受くる最上の報いである。神を
絶対に義とし奉(たてまつ)れ。私は好んでかゝる途に進んだのではない。こゝに御心(みこ
ころ)がなくてどうしよう。凡(すべ)ての人が世に栄えんことを求むるとき、伝道者までが世
の喝采を受けて満足せんとするとき、われはひとり世の容(い)れられずして曠野(こうや)に
立つ。そこに何か深い御心があるのであろう。然(しか)らば何を苦しんでわが事業の神の
為に世の為に大ならんことを求むるか。そんなことはどうでもよし。たゞ御心のまゝに生き
よ。それが最大事業なのだ!躓(つまずく)く人をして躓かせよ。偽善者をして笑わしめよ。
(『選集』第1巻.95頁)
伝道とは他ではない、受けし恩恵の証明に外ならない。救の実験―死より生へ移
されしことの事実―は動かし得ざる事実―である。これを率直に証することが凡て
悩む者に対して助けとなるのである。
(『選集』第1巻.45頁)
‥‥‥‥‥‥‥結果等を考えて少しでも世と妥協したら真の伝道というものは絶対
に出来ません。本当に不純なるものを排して、自己宣伝をしないで、基督教の真理、
十字架の愚のみを宣(の)べるとついて来る人は少なくなります。集会の人は減り雑
誌の読者もふえません。然(しか)しそんな事は僕の問題でない。多くの人に読まれる
とか読まれないとかいうことは問題でない。少しでも不純な気持でペンをとる場合、自
分自身の信仰がだめになって了(しま)う。そして私が祈を通して筆をとると力が溢れて
立上る事が出来る。私が何か少しでも自分の工夫を加えよう、うまく雑誌に書こうとい
う風になると駄目だ。たゞ上からの能力だけにたよる時本当にそこに恵まれる。少くと
も先ず自分が恵まれるのであります。誰が恵まれなくとも、躓くとも私に聴く人が無くな
るともいゝ。窮極の所はそうであります。
(『選集』第1巻.312~313頁)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥即ち伝道によって或人を導こうとするとき自分の力で人を動
かそうとする危険がある、そして非常に苦しむものである。愛が切であればあるだけ、
先方が頑迷なのを見るとき心が悩む――これは伝道の熱心を抱いた者でなければ
わからない境地で、自分だけ信じていればよいと呑気に構えている人には全くわかり
ません。斯様(かよう)な場合に、人間の為し得る範囲を知り、あとは神にお委ねする、
これが本当の伝道であります。さもなくば熱心のあまり神様の立場を侵し、神様の御
領分に立入ることになる、これは恐ろしいことであります。結果は凡て御手に委ねて、
信じて宣(の)べる。種子蒔き――これが伝道であります。
(『選集』第2巻.168頁)
福音(ふくいん)は唯一であります。恩恵の福音が之であります。これ以外のものは
如何に基督教的であっても福音ではありません。社会的とか教会的とか事業的とか
いう名を冠し得る基督教がありますが何れも似て非なるものであります。キリストに
よる罪に赦免の福音の外に福音は有りません。‥‥‥‥‥福音といえば単純無雑
ただ一つの十字架あるのみであります。行為によらずバプテスマによらずただキリス
トの恩恵によりて救われるというのであります。
(『選集』第2巻.185頁)
‥‥‥‥‥‥パウロの十字架信仰に対して意外にも誤解が多い。多くの人がただ
十字架だけを問題とするのである。所がパウロは十字架を問題にする時には是と共
に必ずキリストの復活を問題にしているのである。十字架と復活―この二つは彼にと
って盾の両面で分離することが出来ない。多くの人がこの事を忘れ或は気付かないで、
キリストの十字架だけを問題として、たゞ十字架のあがないに由る罪のゆるしだけに
心を注ぐ。「信仰のみ」と言う時に、キリストの十字架だけを信ずる事を内容とする者は
其のため信仰が空念仏となり観念化し実生活の原動力とならない。‥‥‥‥
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何故彼は十字架と復活を結びつけたか。それは十字架は罪の赦しで、復活は人類の
罪の赦されし証拠であるからである。また更に信者に聖霊を賜わり永生を与え、日々に
新生命に歩ましめるからである。
(『選集』第3巻.107~108頁)
キリストの十字架のみを誇る事の結果は如何。それは何よりも先づ世が自分に対し
て死者となることである。‥‥‥‥‥‥換言すれば世的肉的精神は我に対して係り
なきことをいう。‥‥‥‥‥次に我もまた世に対して死者となる。‥‥‥‥‥‥‥‥
換言せば自分は国籍を天に移せる者であるから我から世に媚びる必要も世と妥協す
る必要もない。斯くキリストにある我は其の十字架によりて世と完全に分離絶縁したの
である。
(『選集』第2巻.297~298頁)
‥‥‥‥‥‥‥復活の事実と復活信仰とは違います。復活が史的事実である事を
理知的に承認しただけでは復活信仰は起らない。前者は後者の代用にならないし、ま
た後者を生み出す事も出来ない。併し前者の上に後者は成立つ。‥‥‥‥‥‥‥
復活信仰は単なる思想でなく復活のイエスの実在が根拠である。‥‥‥‥‥‥
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復活信仰の内容の第一は復活が人類の罪の赦免の証拠であることです。イエスは世
に来りて人類の罪を己に負い人類と一体となり給うた。若し彼が墓に朽ちしならば人類
の罪の赦されし証拠が無い。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥然るにイエスは墓より出で給うた。
彼は永遠に活くる者とせられ復活し給うた。これ神が人類の罪を完全に赦した結果とし
て先ずイエスを人類の魁(さきがけ)として復活せしめたのである。‥‥‥‥‥
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其の第二は新生の賜物である。即ち永遠の生命を与えられる事である。復活の主は
我らの心に聖霊を遣し我らを新生せしめる(ヨハネ三・三)。彼みづから我らの内に宿り
給う(ガラテヤ二・二〇)。斯(か)くて彼は我らの日毎の罪を執成し、我らを人生のあらゆる
苦難迫害誘惑の中に守り更に死に勝たしめ我ら自身をも主の御許に凱旋せしめ給う
(ロマ八・三一 ― 三九、コリント前一五・五七)。実に我らをして日々に復活の主と偕(とも)に
生き、彼にありて正義と愛の生活に勇往邁進するを得しむるものが此の復活信仰なの
である。我らは常に弱く惨めであるが、我らの復活の主は我らに在りて強くあり給う。
(『選集』第3巻.176~178頁)
1892 .3.17 群馬県甘楽郡高瀬村(現富岡市)の農家に生まれる。
5才のとき、父病没。10才のとき、家が全焼し転居。間もなく日本組合基督教会甘楽教会
の日曜学校に出席。県立富岡中学4年のとき受洗し教会に属す。
1911 第一高等学校法科入学。義兄の勧めで一高基督教青年会に入会。
(一高時代から神経衰弱症に襲われ、不眠症に悩む。)
1912 一高1年の終わり頃、黒木参次の紹介で内村鑑三の聖書研究会に出席(柏会に入会)。
(大学進学後、「刺激が強すぎる」と内村聖書研究会を休む。)
(大学1年の課程修了時、健康回復のため1年間休学。)
(大学3年の夏休み前、藤井武を訪問、以後親しく交わり、大きな影響を受ける。)
1918 東京帝国大学法科大学(フランス法律専攻)卒業。内務省に入り、神奈川県庁地方課に勤務。
(就職後も、神経衰弱症に悩む。文官試験に2回失敗。婚約解消。)
1919. 10 人生に対する不安から信仰の大動揺を来たし、官吏の職を辞す。
1919 .12 北海道・社名淵(サナプチ)の留岡幸助経営・北海道家庭学校農場に赴き、10ヶ月滞在。
(北海道に行き約半年後、F・W・ロバートソンの説教集の中の「トマスの懐疑」を読み、
復活の信仰を体験。)
1920. 11 内村鑑三の聖書研究社の助手となる。
1921. 9 住谷天来の懇請をうけて桐生組合教会牧師として赴任。
1922 .4 .27 内村鑑三の司式で浅見つな(浅見仙作の次女)と結婚。(藤井武の紹介で婚約。)
1922 .10 札幌独立教会の招聘で牧師として赴任。(内村鑑三の勧めによる。)
1926 『静かなる細き声』出版。
1927. 9 独立教会牧師を辞任し上京、武蔵野・上祖師ケ谷に出て無教会独立伝道者として立つ。
1928 .5 月刊伝道誌『信望愛』を創刊。
1930.1.26 世田谷区代田の自宅で中原聖書研究会(中原聖書塾、中原聖書学舎とも称す。)を始める。
1933 .10 『信望愛』誌巻頭文「非常時の真相」が「安寧秩序を妨ぐる」とされ全文削除処分。
1933 『パスカルの宗教思想』出版。
1933 『ロバートソン「トマスの懐疑」』(訳書)出版。
1935.6 『信望愛』(86号)の「ともぐい」が「所謂反戦思想である」とされ警視庁出頭注意を受ける。
1937 . 10 藤井武7周年記念基督教講演会で「神の真実」と題し講演。
1937 .11 『信望愛』(115号、「神の真実」を掲載)が反戦思想のかどで発禁処分。
1942 『信仰短言』出版。
1944 . 6 警視庁の要請により、『信望愛』を193号を最後に廃刊。
ひき続き謄写版私信『武蔵野より』(1944年8月~1945年4月)を毎月発行。
1945 .5 .25 焼夷弾により罹災し、浅間山麓の教友の山荘に疎開。
(戦争末期から重度の脚気となる。)
1945 .8 終戦後、ただちに謄写版私信『浅間山麓より』(1945年8月~1946年8月)を発行。
1946.10.6 八王子台町で日曜集会を開始。
1947 .1 『信望愛』誌を復刊。
1947 10 ~12月、高松宮に5回にわたる基督教進講を行なう。
1951 東京文化学園短大でキリスト教倫理の講義を始める。
1954 肺結核を発病し横田病院入院。半年後、中野療養所に移り満3か年入院。
(療養所生活中も、聖書読者会を開き、また「病床通信」を発行。)
1957.6 退院。
1957.8 集会を再開。
1957.10.10 葉書通信「信望愛」を発行。
1957.11 けやき幼稚園(武蔵野市西久保)での集会を開始。
1958 .3 .4 心臓麻痺のため武蔵野市西窪の自宅で死去。
1958 .3 .8 告別式(今井館)
1958 『金澤常雄著作選集』(全3巻)刊行。
1984 『信仰短想』出版。
『金澤常雄著作選集』(全3巻). 宇野 輝・石原秀志・松田智雄 編. 金澤常雄著作選集刊行会. 1958.
『荒野の慰安』. 一粒社. 1933.
『信仰短想』. 新地書房. 1984.
『資料 戦時下無教会主義者の証言』. オカノユキオ 編. キリスト教夜間講座出版部. 1973.
「金沢常雄集」(397~436頁)
『朝には歓び歌はん ―金澤つな記念文集― 』. 金澤 康 編集発行. 1987.
『内村鑑三と留岡幸助』. 恒益俊雄 著. 近代文芸社. 1995.
「Ⅱ部 金澤常雄と北海道家庭学校 (65~131頁)
『神谷美恵子 若きこころの旅』. 太田愛人 著. 河出書房新社. 2003.
「独立伝道者の叔父 金沢常雄」(87~102頁)