南原 繁

目 次

              [ 宗教と政治 ]  [ 宗教と文化 ]  [ 信仰 ]  [ 神の国 ]  [ 預言 ]

              [ 略歴 ]  [ 主要信仰著書 ]  [ 参考文献 ]

 

                                             〔注〕 『著作集』‥‥『南原繁著作集』 発行所 岩波書店

                                                                                     [ホームページ]

 


 宗教と政治

 

           宗教の力は、個人の上だけでなく、政治的国家生活に対して、それぞれの時代に、それぞれ

          の形において、根本的な問題を提示して来た。このことは、実際政治家がいかに看過し、また

          無視しようとも、人類の長い歴史を通してそうであったし、将来もそうであるであろう。近代の過

          渡的反立の時代を経て、現在人類が直面するに至った政治的限界状況において、われわれは

          宗教的確信や信仰から何を導き出し得るであろうか。それは、現代の政治・社会闘争の根底に

          横たわるところの、宗教をふくめて思想ないし学問の問題としての文化闘争である。それは、ま

          た世界観闘争であり、現実の政治的・社会的闘争が終っても残る問題であって、人類の存続す

          るかぎり、絶えず新たにされる永遠の課題であるであろう。  (1958) 

                                                           (『著作集』第1巻.4頁)

 

              およそ国家の問題は、根本において全文化と内的統一を有する世界観の問題であり、したが

           って、究極において宗教的神性の問題と関係することなくしては理解し得られないというのが、

           著者の確信である。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

           あたかも今次ヨーロッパの大戦において諸民族によって戦わされている政治的闘争の根底に、

           宗教との関係をめぐって、いかに深刻な世界観的闘争の問題が存在するか。事はひとりヨーロ

           ッパのみの問題でなく、大東亜戦争の開始により、わが国にとっても二にして一なるこの世界の

           大戦において、如上の問題はまたわれわれの深い関心事でなければならず、殊に日本が真に

           世界史的民族として東亜に生きんとする場合、この問題に対する理解が将来わが国文化の発

           展の上に重要な交渉をもたらさずには措かぬであろう。  (1942)

                                                            (『著作集』第1巻.13頁)

 

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 宗教と文化

 

           重要なのは、各個人の心情・良心において神的生命と直接に結合することであり、それによって、

          一切の外的権威に対して内面的独立を保つことである。なぜならば、信仰は、結局、人間的欲望と

          表象の所産にほかならぬ伝統と社会秩序によって允許されるものでなく、深く人間個性の魂の内奥

          において行われる超経験的事実であるから。この意味においては、人はできるかぎり、まず文化の

          世界から超越して、個人的心情の内面に沈潜し、個人的心情と確信とにおいて宗教の純粋性を維

          持することを心がけなければならぬ。かような態度にとどまるかぎり、世間的文化作業から来た矛盾

          によっては、信仰そのものは毀損せられずに済むでもあろう。‥‥‥‥‥‥‥

           ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

           われわれは、出でて世間生活および文化的作業と勇敢に闘い、これを宗教的精神をもって克服し、

          滲透することに努力しなければならない。何故ならば、文化は決して生の外郭の出来事ではなく、深く

          われわれの精神の全体生活のなかに入り込んだ事柄であり、世間的=文化的形成の努力との闘い

          において、われわれの宗教的内面性は現実性と確実性を取得するからである。

           そうして、いまや文化の新たな形成の力の源泉は無限の精神的生命であり、かようなものとして、

          それは超人間的「事実性」である。かような根本事実の体験は、人間の裡よりほかにその場所を持つ

          ものではないが、それは決して単なる主観的想像や心理的感激ではなくして、もはや絶対的な超人間

          的「神的事実」である。生はそこにおいて人間を超え、また、そこから人間に作用する。かような精神的

          生の創造力に導かれて、人は世間生活と文化作業に赴くのである。

                                        (『著作集』第1巻.321~322頁)

 

              これらの文化闘争は、外部から見れば、果てしなき無効の戦いのごとく見えるでもあろう。しかも、

          宗教の根本確信はこの闘争においてますます拡大せられ、もろもろの反立・対抗の唯中に精神の

          内的建設は徐々に進行し、不可視の世界との結合をいよいよ確実ならしめる。われわれの生活は

          決してただ希望なき彼岸における慰めではなく、いまの現在においても神的絶対の前に緊張と充実

          の生活である。その意味は永遠のいまの絶対の存在というのでなく、むしろわれわれの存在は永遠

          の未完成である。宗教に固有なのは決して対立と矛盾を弁証法的に止揚するのでなくして、それを

          深めること、そして人生と世界の全体を次第に高めることでなければならぬ。かかる精神的生活の

          事実こそは、宗教的真理の証明にほかならず、このような宗教的根本真理なくしては、深い意味の

          学問も芸術も道徳も国家生活も成り立たないであろう。‥‥‥‥‥‥‥‥

                                            (『著作集』第1巻.325頁)

 

              宗教は、すでに述べたように、他の文化諸価値と並び、あるいはその上にあって、独自の文化形

          式を要求するものでこそないが、そのことが、やがて諸ゝの文化のなかに入り込み、それに精神と生

          命を供するにいたるのである。およそ宗教は価値と反価値の対立抗争を企てず、善と悪・真と偽・美

          と醜・正義と不正義の二元的対立を問題とせず、よく凡ての対立に耐え、すべてを肯定する。それは

          否定を通して得られる永遠の肯定であり、論理的不寛容主義を超えての愛の実践的寛容である。そ

          こにニ元の対立は、もはや存しないのである。われわれは、このような境涯を内的体験において了得

          することができ、信仰者にとって、それは生命と精神の源泉であるであろう。人は現実の生活と文化闘

          争において、その中から暫し免れて、この源泉に汲み、憩うことはできるけれども、そこに永久の休息と

          静止を求めることを許されない。必ずや、そこから出でて、新たにされた生命と精神をたずさえて、現実

          生活の闘いに赴かねばならない。‥‥‥‥‥‥‥

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

           このようにして、われわれはいかなる人間生活と世間的活動を通しても、神意に適うべく生き得る。否、

          現実の世間生活の只中にあって、かえって神と偕なる生活をなし得べく、少なくともそのように意志し、努

          力することが神に到るの道である。例えば、ある意味において人間の自然的な家族生活も、かようにして

          神における聖なる愛の結合と化することもできよう。また政治的社会生活において、いかなる組織と体制

          の下にも耐え得るであろう。それは決してその凡てを是認することを意味せず、ある場合には忍従、つい

          にそれを高めて神的秩序たらしめようとする努力も生ずる。以上のごときは、論理的価値考察であるより

          は、むしろ心的生活態度の問題であり、考え方の問題であるよりも、むしろ生き方の問題である。宗教は

          生々の生命であって、それ自体は体系化され、組織化され得ないものがある。

                                                        (『著作集』第5巻.151~153頁)

          

 

                                                                         [南原繁 目次]   [ホームページ]

 


 信 仰

 

           率直にいって、今日まで、ともかく私を支え、導いてきた力は、かすかながら私の信仰であり、

          今後もそのことに変りはないであろう。これが、私にとって、否定することのできない確実な「経

          験」であり、私の「実験」である。否、誰にあっても、およそ信仰を証明するものは、そうした宗教

          的体験であると思う。

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

           しかし、いかに深く、また豊かに人間性が耕されたにしても、人間が人間であるかぎり、誰もが

          生れながら担っている「人間悪」の問題があるはずである。われわれがこの悪を克服しようとす

          れば、人間の知識、いな、人間自身の力をもっては、いかんともすることのできない大きな壁に

          直面せざるをえないであろう。ここに、人間を超えた絶対的なもの、神との対決を余儀なくされる

          のである。これは、いうまでもなく宗教の世界であり、合理的思惟を超えた宗教的非合理性の世

          界である。そこでは、神の前に各人の魂の信頼の実験が唯一の拠りどころであって、哲学も神学

          さえも直接には役に立たない。

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥信仰は知識や認識でなく、意志の問題であって、信じようとするわれわれ

           個人の決意にかかっている。

            しからば、何を信ずべきであるか。何よりも善と正義を信ずることが根本である。この世にはさ

           まざまの悪や不正の力が存在するにもかかわらず、善の勝利と正義の成就を信じて、これに味

           方する決意をすることが、信仰の第一歩であると思う。そこから出発した信仰でなければ、単に

           形式的な信仰か、または迷信か、いずれにしても人生に対して無力であるであろう。

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ある宗教の説くところが永遠の真理であるか、それとも過去の一時代の

           遺物にとどまるかは、それが現在もっている生きた力と生命によって決定されるであろう。そうい

           う宗教的信仰は、科学がどんなに進歩しても、またいかなる理想的社会が実現しても、永久に変

           わることなく、また不必要となることはないであろう。

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 

            ‥‥‥‥‥‥‥‥‥現代の民主社会においては、宗教人も国民とし、市民として、自分の住む

           政治社会に対する権利と責任がある。それを怠るのは、一種の政治的無関心または逃避的態度

           といわなければならない。

                                                 (『著作集』第9巻.253頁)

 

                                                                       [南原繁 目次]   [ホームページ]


 神の国

           イエスの説いた神の国は、‥‥‥‥‥ただ神の栄光を中心とし、キリストの霊によって充たされる

          純粋に精神の国である。否、神において結合する者の、いまだ見知らぬ者・敵対する者にまでの「愛

          の共同体」である。しかり、神を中心としてついにすべての民族・全人類にまで及び得る絶対の「普遍

          主義」の理想である。かようなものとして、それは「ここに見よ、かしこに見よ」と言って顕われるもの

          ではない。それは、世界の進展と人類歴史との終局において完成される「天の国土」であり、最後の

          審判を通して世界の更新と人類歴史の転回とともに実現される神の秩序である。これはその日に神

          の意志が地上に実現して最高の善と正義が行われるとする終末観的世界観である。だが、そのこと

          は「神の国」がただに抽象的な理念として、永遠の当為にとどまることをのみ意味するのではなく、現

          実に此岸においてすでに開始されることを否定するものではない。地上にあって神の力を信じ、神の

          愛において生きる人びとのあいだに神の国はすでにあるのであり、また、いかなる空間の隔たりにも

          かかわらず実存するところのものである。

                                                  (『著作集』第1巻.72頁) 

 

              イエスの説いた「神の国」は、‥‥‥‥‥そこでは人間と社会のあらゆる罪悪が除かれ、神の栄光

           と義の顕われる国であり、心の貧しい者や飢え渇くごとく義を慕う者の受け嗣ぐべき国として宣べられ

           てある。けだし、イエスの使命はひとえに宗教の内面的「単純化」にあり、宗教の真の本質をただ神と

           の内的なる結合の直接的経験から創り出そうとするためである。それは古いイスラエルのメシア信仰

           の純化であり、ここに「旧約」の神の国から「新約」のそれへの展開が認められ、もはや血縁と地縁と

           によってつながる社会的関係でなくして、純粋に神の霊の紐帯によって結ばれる愛の共同体である。

             ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

            それ故に、この新約の「神の国」の原理は、ロゴス的な正義においてよりも、むしろ非合理的な「愛」

           においてあることを知らなければならぬ。‥‥‥‥‥‥‥もはやいかなる意味においてもギリシヤに

           おけるごとき人間的な理性と価値とが結合の紐帯ではなくして、神の愛によって結ばれる、絶対的な

           新しい社会共同体の理想である。それは何らかの組織として構想されなかったと同時に、また理論と

           して説かれたのではなかった。‥‥‥‥‥‥

                                                    (『著作集』第1巻.75~76頁)

 

               「神の国」が意味する「愛の共同体」の理念は、人類の社会生活における協同に対し無縁であって

           はならず、隣人愛の精神はやがて国民共同の要求による結合関係に、新たな生命を供せずにはや

           まない。‥‥‥‥‥‥宗教はひとり個人の救済に終るものでなく、あまねく国民と国家、ついに全人

           類社会の救済でなければならぬ。

            人はここに、イエス自身において、もとより天に深く根を有してはいるが、同時に地のための平和と

           正義の国が看過されていないことを考える必要がある。彼は「神の国」の概念を純粋に霊的内面化

           した点において新たな意義を付与したが、同時に、さきに触れたごとく、決して終末観的「神の国」の

           概念を否定しなかったことは、注意すべき事実である。一方には現在すでに開始せられる内的な神

           の国、他方に将来顕現せられる神の国の秩序が、互いに相反するものとしてでなく、かえって共存し

           得るということの認識は、この場合はなはだ重要である。

                                                     (『著作集』第1巻.112~113頁)

 

               およそ宗教の特質は純粋な非合理性においてある。‥‥‥‥‥‥‥

              ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

            それ故に、宗教的理想の国はわれわれの問題とする政治的価値の世界にも属しない。しかるに

           「神の国」を政治的国土の理想として、両者の結合を企てる思想がある。問題はキリスト教の「神の

           国」は何を意味するかにかかっている。キリスト教の本質が父なる神と各ゝ子なる人間との間の新

           しい人格的愛の関係の非合理性にあるということから、その必然の帰結として、神の国はかような

           愛の神を中心として、信仰によって新たに甦生された人間の愛の結合以外のものではないであろ

           う。それはただ個々の人間と神との間の関係のみでなく、同時にかように神と結合された人間相互

           の共同体である。二人または三人が真実に神を求めて結ばれるときに成り立つ愛の共同体が、そ

           の範型である。その特質は依然として宗教的な純粋に愛の非合理性においてある。しかるに、これ

           を政治組織の原理として考えるとき、神の国はその固有性を失って、普遍的な世界王国と化し去る

           であろう。

                                                      (『著作集』第5巻.149~150頁)

 

                                                                        [南原繁 目次]   [ホームページ]


 預 言

 

           心ある人々は、わが国の民主主義の危機と、旧憲法精神復活の兆候を、早くより認めて来た。

          私もその一人であり、‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥私はおそれる――近き将来、この憲法が書きかえ

          られ、わが国に軍備が再編成され、それに適応する体制がとられることがあっても、人々は怪しま

          ないのではないか、と。さらにおそれる――国民の一部の間には、好機到来せりとなし、再び戦争

          に参加し、わが国失地の回復を考えるものはないか、と。  (1950.11.5)

                                                            (『著作集』第7巻.354~355頁)

 

              現在のような、国の内外にわたる世界的変革のときに、わが日本が終戦後、たまたまかような

          保守的政府をもちつづけて来たことは、何としてもわが歴史の矛盾、国民の悲劇といわなければ

          ならない。要は、われわれ国民の今後の自覚と決意である。世界がふたたび戦争か平和かを決

          する険路をたどっているときに、わが国民の敢えてなしてはならないこと、またなさしめてならない

          ことは、わが国うぃあいて再び戦争の道に立たしめることである。これを防ぐために努力すること

          は、人類の大義であり、日本がいまよりただちに世界に寄与し得べき光栄の道である。そして、そ

          れこそ国民として、戦争にまさる勇気と忍耐と、且つ真の愛国心を必要とする大業でなければなら

          ない。

           われわれが敗戦によって置かれている民族の試練に耐え、この大業を成就するのに、われわれ

          に味方するものは誰か。歴史の真理である。今後、世界の出来事に、なお幾変転があり、この人類

          の大義に逆う多くの企てが試みられるでもあろう。だが、それにもかかわらず、歴史の真理は、よく

          それを超え、それを粉砕して、自らの論理をおし進めるであろう。それが歴史における真理と自由の

          発展である。  (1955.1)

                                                              (『著作集』第8巻.64~65頁)

 

                                                                    [南原繁 目次]   [ホームページ]


 

 略 歴

   1889. 9 .5       香川県大川郡相生村(現在:引田(ひけだ)町)で出生。

   1891. 10         父(婿養子)離籍。

                  (父の正式離籍前に家督を相続。母は、8才のころ再婚、妹が生まれる。)

   1902. 3          小学校準教員検定試験に合格。

   1907.3           香川県立大川中学校卒業。

   1907.7          第一高等学校(第一部甲類、英法)入学。

                   (在学中、友人の紹介で、内村鑑三の『聖書之研究』誌を知る。) 

   1910.6           第一高等学校卒業。

   1910.7           東京帝国大学法科大学政治学科入学。

   1911.10          内村鑑三の門に入る。

   1911. 12          「白雨会」結成に参加。

                   (生涯にわたり会員との親密な交わりをたもつ。)

   1914 .7           東京帝国大学法科大学政治学科卒業(首席・銀時計下賜)。

   1914 . 11          文官高等試験合格。

   1914 . 12          内務属(内務省警保局属官)に任ぜられる。

                   (内務省勤務のかたわら、成蹊中学校の客員舎監をつとめ、

                    寄宿生に聖書の講話などを行なう。)

   1916 .11. 20        内村鑑三の司式により星野百合子(星野鉄男の妹)と結婚。

   1917 .3           富山県射水郡長に任ぜられる。

                   (在任中、射水郡灌漑排水事業の計画立案、「射水郡立農業公民学校」創設の立案、

                    「射水郡婦女会」の育成などを行なう。)

   1918 .2           長女・待子出生

   1919 .1           内務省警保局事務官に任ぜられ、わが国最初の労働組合法案作成に従事。

                    (内務省案と成るも、原敬首相によってにぎりつぶされ、日の目を見ずにおわる。)

   1920 .8            内務事務官に任ぜられる。

   1921. 5            次女・愛子出生。

   1921 . 5           内務省辞職。

   1921 .5           東京帝国大学助教授(法学部に勤務、政治学・政治学史講座担当)。

   1921 .8            在外研究のためヨーロッパへ留学(1924 年7 月帰国)。

   1925. 8            東京帝国大学教授。

   1925.8             妻・百合子死去。

   1925. 11           東京都新宿区中落合に自宅を新築・転居。

   1927. 4 .2         内村鑑三の司式により西川博子と再婚。

   1927.12          『小野塚教授在職二十五年記念・政治学研究』に「カントに於ける国際政治の理念」を発表。

   1928.10           『国家学会雑誌』に「政治原理としての自由主義の考察」を発表。

   1928.11            三女・恵子出生。

   1930.4            『聖書之研究』終刊号に「プラトンの理想国と基督教の神の国」を発表。

   1930. 4 ~1931.9    『国家学会雑誌』に「フィヒテ政治理論の哲学的基礎」を発表。

   1930. 11           長男・実出生。

   1933.1            東京帝国大学評議員(1936年1月まで)。

   1933.7            次男・晃出生。

   1934. 4           『筧教授還暦祝賀論文集』に「フィヒテにおける国家主義の理論」を発表。

   1935. 12           四女・悦子出生。

   1936. 9            『国家学会雑誌』に「プラトーン復興と現代国家哲学の問題」を発表。

   1937. 4            東京帝国大学図書館評議員(1939年5月まで)。

   1937.10 ~11        『国家学会雑誌』に「基督教の『神の国』とプラトンの国家理念―神政政治思想の批判の為に―」を発表。

   1938 .9           『帝国大学新聞』に「大学の自治」を発表。

   1939.12 、1940.12    『国家学会雑誌』に「フィヒテにおける社会主義の理論」を発表。

   1941.4            『帝国大学新聞』に「大学の本質」を発表。

   1941. 6            母・きく死去。

   1941.12 、1942.2、4    『国家学会雑誌』に「ナチス世界観と宗教の問題」を発表。

   1942.4             『東京帝国大学学術大観法学部経済学部』に「国家と経済―フィヒテを起点として―」を発表。

   1942. 11           『国家と宗教―ヨーロッパ精神史の研究―』(岩波書店)出版。

   1944.5             東京帝国大学評議員。

   1944.9             治安維持法被疑事件(被告:大内兵衛ほか)の控訴審で特別参考人として陳述。

   1945.3             東京帝国大学法学部長。

   1945               終戦直前、東京帝国大学法学部の教授6名とともに極秘裡に終戦工作をおこなう。

   1945.8             占領軍総司令部本拠としての東大本郷キャンパス接収を阻止。

   1945.12             東京帝国大学総長(1949年12月再選2期6年、昭和26年まで)。

   1945.12             クリスマス礼拝の場所に東大安田講堂を開放。

   1946. 2             紀元節で演述「新日本文化の創造」。

   1946. 3             戦歿並びに殉職者慰霊祭で告文「戦歿学徒を弔う」。

   1946. 3             『学問・教養・信仰』(近藤書店)出版。

   1946. 3             米国教育使節団来日にあたり、日本側「教育家委員会」委員となり、互選により委員長就任。

   1946. 3             貴族院議員に勅選(1947年5月まで)。日本国憲法草案審議に参加。

   1946. 4              天長節の東大総長演述「天長節」で、天皇退位論を述べる。

   1946. 5             東大入学式で演述「真理と個性」。

   1946.6              東大生協・初代理事長。

   1946.7             帝国学士院会員。

   1946.8             「教育刷新委員会」発足、副委員長に就任(翌年11月委員長(1952年6月同会解散まで))。

   1946.11            全国大学教授連合・初代会長(1953年10月まで)。

   1947.2             『祖国を興すもの』(東京帝国大学協同組合出版部)出版。

   1948. 3             歌集『形相』(創元社)出版。

   1948. 3              『人間革命』(東京大学新聞社出版部)出版。

   1948. 5             国家学会会長。

   1948. 10             米国人文科学顧問団来日にあたり日本側委員となり、委員長に互選される。

   1948.11             日本政治学会・初代理事長(1960年10月まで)。

   1949. 1             日本学術会議第一期会員(同年4月辞任)。

   1949. 6             『母』(中央公論社)出版。

   1949. 11            『真理の闘ひ』(東京大学綜合研究会出版部)出版。

   1949. 12            「第一回占領地域に関する全国会議」(ワシントン)に出席し「日本における教育改革の理想」と題し講演、

                    全面講和論を主張。

   1950. 3             東京大学教授を定年退職。

   1950.4             『日本とアメリカ』(朝日新聞社)出版。

   1950.7             国立大学協会・初代会長(1951年12月まで)。

   1951.2             東京大学出版会・初代会長。

   1951.5             『平和の宣言』(東京大学綜合研究会出版部)出版。

   1951.12             東京大学総長退任。

   1952. 3             東京大学名誉教授。

   1952. 4             学士会評議員。

   1952. 5             『大学の自由』(東京大学出版会)出版。

   1952. 8 ~10         第2回世界政治学会議(ハーグ)に出席、西欧・インドを歴訪。

   1952.10             学士会副理事長。

   1953. 5             『人間と政治』(岩波書店)出版。

   1955.5 ~6          日本学術使節団に加わりソ連・中国訪問旅行。

   1955. 9             『ソ連と中国』(中央公論社)出版。

   1957. 5             『文化と国家 南原繁演述集』(東京大学出版会)出版。

   1957. 10            『現代の政治と思想』(東京大学出版会)出版。

   1958. 7             『ふるさと』(東京大学出版会)出版。

   1959. 4             『フィヒテの政治哲学』(岩波書店)出版。

   1959. 7             日本学士院第一部長(1970年11月まで)。

   1959. 7             『国家学会雑誌』に「政治哲学への道」を発表。

   1959. 9             『自由と国家の理念』(論文集)(青林書院)出版。

   1961. 2             『政治思想における西欧と日本―南原繁先生古稀記念』(東京大学出版会)刊行。

   1962. 5             『政治理論史』(東京大学出版会)出版。

   1963. 10            『小野塚喜平次 人と業績』(蝋山政道・矢部貞治と共著)(岩波書店)出版。

   1964. 4             『日本の理想』(岩波書店)出版。

   1964.8              三谷隆正全集の編集に着手(1966年1月完了)。

   1964. 11             学士会理事長。

   1964.12             妻・博子死去。

   1965.12             『瑠璃柳 南原博遺文・追憶集』(私家版)刊行。

   1966. 9             『南原繁対話 民族と教育』(東京大学出版会)出版。

   1967. 1             宮中「歌会始」で召人として詠進。

   1967. 11             家永三郎・教科書検定裁判の証人として、東京地方裁判所で証言。

   1968. 7             『若き世代への証言』(図書月販)出版。

   1969. 4             『歴史をつくるもの』(東京大学出版会)出版。

   1970.11             日本学士院院長(1973年再任)。

   1971. 9             『政治哲学序説』脱稿。

   1972. 11            『南原繁著作集』全10巻(岩波書店)刊行開始(翌年8月完結)。

   1973. 10            虎ノ門病院入院。

   1973. 11             自宅焼失。

   1974. 3              自発的に退院(その後、自宅療養)。

   1974. 5              春の叙勲で勲一等旭日大綬章親授。

   1974. 5. 19           胃癌のため死去。

   1974. 5. 22           出棺式。

   1974. 5. 25           葬儀(女子学院講堂)。

   1975. 5              『回想の南原繁』(岩波書店)刊行。

   1987. 1              『南原繁書簡集』(岩波書店)刊行。

 

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  主要信仰著書

               『南原 繁著作集』(全10巻). 岩波書店. 1972~1973.

               『ふるさと』.東京大学出版会. 1958.

               『わが歩みし道 南原繁 ―ふるさとに語る 』. 「わが歩みし道 南原繁」編集刊行委員会 編

                             香川県立三本松高等学校同窓会 大中三高会 発行. 東京大学出版会 発売. 2004. 

 

  参考文献 

               『回想の南原繁』. 丸山真男・福田歓一 編. 岩波書店. 1975.

               『我が望 少年 南原繁 』. 岩本三夫 著. 山口書店. 1985.

               『南原繁書簡集』. 福田歓一 編. 岩波書店. 1987.

               『聞き書 南原繁回顧録』. 丸山真男・福田歓一 編. 東京大学出版会. 1989.

               『南原 繁』. 加藤 節 著. 岩波書店(岩波新書). 1997.

               『瑠璃柳 南原博遺文・追憶集 』. 南原繁 編集・発行. 1965.

               『真善美・信仰 ―南原繁著作集感想― 』. 山口周三 編著. 岩波出版サービスセンター 製作. 2002.

               『南原繁と現代 今問われているもの 』. 南原繁研究会 編. to be 出版. 2005.

               『初心を忘れたか ―南原繁と戦後60年 』. 南原繁研究会 編. to be 出版. 2006.

               『南原繁の言葉』. 立花 隆 編. 東京大学出版会. 2007.

               『宗教は不必要か ―南原繁の信仰と思想 』. 南原繁研究会 編. to be 出版. 2007.

               『南原繁の生涯 ―信仰・思想・業績 』. 山口周三 著. 教文館. 2012. 

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