酒枝義旗

目 次

               [ 略歴 ]  [ 主要信仰著書 ]   [ 参考文献 ]

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 略 歴

    1898.1.10     愛媛県南宇和郡西外海(にしそとうみ)村字久家で父・酒枝義員(よしかず)、母・石(いし)

                の子として出生。

                中泊(なかどまり)で4畳半1間の借間に祖母・父母・姉と住む。

    1900          母(小学校準訓導)が内泊(うちどまり)の小学校に転任。

                一家で内泊に移り木賃宿の6畳一間の離れを借りて住む。

    1901          中泊に移る。

    1902          再度、内泊にもどり、上京までここで過す。

    1902          祖母死去。

    1903.4        内泊尋常小学校入学(1年早く入学)。

    1907.3        内泊尋常小学校卒業。

    1907.4        船越高等小学校入学。

    1910.3        弟・黙三、自宅での火傷が原因で死去。

    1911.3        船越高等小学校卒業。

    1911.4        南宇和郡立水産農業学校水産科2年に入学。

                秋頃、家の事情で下宿できなくなる。

    1911.10       水産農業学校を退学。退学後、しばらく国民中学会の講義録を取って勉強。

    1912.1        無為に過ごすのを次姉(小学校準訓導)が見かねて、任地の西宇和郡塩成に連れて行く。

                 3ヶ月間、次姉の食客となり過ごすが、再び内泊に戻る。

    1912.9        蚕業取締所(西宇和郡八幡市)の給仕となるが、足の腫物のため2ヶ月で退職し内泊に帰る。

    1912.11       下谷北稲荷町の法律事務所の書生となる。

                 間もなく弁護士に失望。新聞記者に憧れ、「蛟池(こうち)新聞」を発行。

                 また、『萬朝報』の懸賞文に応募、当選し賞金を貰う。

    1913.1         正則英語学校夜学部に入学。

    1914          私立錦城中学校夜間部2年に入学(3年で退学)。

    1916.4        錦城中学4年の編入試験に及第するが通学できず断念。

    1916.7        失意のうちに帰郷、再び無為の生活に戻る。

    1917.2        再び上京、法律事務所に再採用されるが、昼間の中学に入学するため辞める。

    1917.3        報知新聞の新聞発送夫となる。

    1917.4        私立錦城中学校4年に編入。

                 貧乏のため軍事教練で制服を着用出来ないと見られ、退学を勧告される。

    1917.11        報知新聞の発送人を辞め、法律事務所に3度目の書生となる。

    1918          父の発病のため帰郷。母のスペイン風邪、長姉の病気、次姉の夫の死去などがあり、

                 1カ月半ほど滞在。

    1919.3         錦城中学校卒業。

                  その後、法律事務所を辞め、人力車夫、運送店の車夫、旧旗本家の書生、新聞発送夫

                  などの仕事を転々とする。

    1919.9        長姉が心配して上京。

                  この頃、日本電気株式会社の書記に採用される。友人2人と千駄ヶ谷に家を借りて住む。

    1920.1.27       父、死去。

    1920           日本電気を退職、姉と同居して受験勉強を始める。

    1920.4         早稲田高等学院が開校し、文科1年に入学。

    1920.6         母上京、姉と3人で住む。

    1920.7~8       中央郵便局の書留係をする。

    1920.9          国民新聞の本社配達夫に採用されるが、その夜、急性肋膜炎にかかり職を失う。

                  1ヶ月間療養、再び荻窪に家を借りて学友2人と住む。

    1921.2          肋膜炎再発、学年末試験をうけずに休学して宇和島の次姉と母のもとで静養。

    1921.9          上京。特別に2年に進級。

                  英語を学ぶため芝バプテスト教会のバイブルクラスに通う。

                  博文館より育英資金を受ける。

    1922.3. 20       芝バプテスト教会で木村清松の説教を聞いて入信を決意。

    1922.3. 25       芝バプテスト教会で受洗。

    1922~23         ホーリネス教会の諸集会に出席、また路傍伝道などに参加。

    1923.3          早稲田高等学院卒業。

    1923.4          早稲田大学政治経済学部入学。 

    1923.9           関東大震災の時、同居していた姉の借間が焼け日記類を焼失。

                   9月より文科哲学科に転学せんとするも震災のため不可能となる。

    1924            伝道に専念するためバプテスト神学校入学の許可を得るが、赤痢にかかり1カ月入院。

                  神学校入学の夢は実現せず。

                  この頃、内村鑑三の『聖書之研究』誌を熱心に購読。

    1924.10         初めて藤井武を訪問、早稲田大学キリスト者青年会主催・講演会の講演を依頼。

                  その講演に感銘をうける。

                  藤井武の『旧約と新約』誌を熱心に読み始める。

    1924            早稲田大学キリスト教青年会の寄宿舎・信愛学舎に入る。

    1924.12         芝バプテスト教会を退会し、武本喜代蔵創立の「祈の家」に入会。

    1925.4. 1        召集により歩兵第43連隊(讃岐・善通寺)に1年志願兵として入隊。

    1925. 5. 23       母、死去。

    1926.3. 31        陸軍歩兵伍長に任ぜられる。

    1926.4.1         除隊。

    1926.4           早稲田大学に再入学。

                   藤井武に早稲田大学キリスト者青年会での聖書講義を依頼。

    1927.3           早稲田大学卒業。

    1927.4           二木保幾教授のもとで経済哲学を学ぶため大学院に残る。

    1928.1           「祈の家」集会内部に分裂があり、原田美実とともに脱退。

    1928. 3           藤井武の新町聖書研究会に入会。同時に原田美実の聖書研究会にも入会。

    1930.3.20         小池辰雄の司式により小宮珊之助長女・英子(ひでこ)と結婚。

    1931.4           早稲田大学政経学部講師。英語経済学の講読を担当。

    1934.12           早稲田大学留学生としてドイツへ出発。

                    ベルリン大学のゴットル教授に師事、構成体論的経済学を学ぶ。

    1936.8            帰国。

    1936.9            ドイツ東亜宣教会でヘンニッヒ牧師の伝道を助ける。

    1936              早稲田大学助教授。

    1937.8            東京都中野区鷺宮2丁目に転居。

    1937.9            上富坂教会に入会。

    1938              早稲田大学教授。

    1939              自宅で学生と集会を始める。

    1941.3            『構成体論的経済学』(時潮社)刊行。

    1942.3            『新しき人の出現』(第一公論社)刊行。

    1942.4             国民文科研究所の研究嘱託。

    1942              日本神学校、恵泉女学園の講師。

    1942.9            日本法理研究会の経済学研究部会員。

    1942              『ゴットルの経済学』(弘文堂、教養文庫)刊行。

    1943.4             東亜学院政治経済科開校、授業を担当。

    1943              日本女子神学校講師。

    1945.11            集会を再開。

    1946.4             日本聖書神学校講師。

    1946               国際基督教大学創立のため尽力。

    1947.4             東京女子大学講師。

    1947.10            日本聖書神学校、東京女子大学を辞職。

    1947               共著『生活経済理論』(巌松堂)刊行。

    1949.2            家庭集会(酒枝集会)を解散。

    1949.3.13          日本基督教団高円寺独立伝道所が発足、酒枝集会会員の殆どがここに移る。

    1949.10            エミール・ブルンナー初来日、以来、深い交わりを続ける。

    1950.5             酒枝集会が、「待晨(たいしん)集会」として再発足。

    1950.5            伝道誌『待晨』(月刊)発刊。

    1952.4             (訳書)エミール・ブルンナー著 『正義』(三一書房)刊行。

    1955.4             (訳書)エミール・ブルンナー 著『教会の誤解』(待晨堂)刊行。

    1958              宗教法人キリスト教待晨集会を設立。待晨集会会堂落成。

                     夏の修養会で、第1回の洗礼式と聖餐式を行なう。

    1962.12            『さまよう魂の告白』(待晨堂)刊行。

    1963.1.4            妻・英子、死去。

    1965               別所現子と再婚。

    1966.1             早稲田大学の学園紛争激化。

    1966.5             早稲田大学政治経済学部の学部長以下が辞職。後任の政治経済学部長に選出される。

    1968               早稲田大学を定年退職。

    1968               韓国提岩教会焼打事件謝罪委員会会長に就任。

    1968              『今に至るこそ』(前野書店)刊行。

    1969.4             提岩教会定礎式に出席するため韓国・提岩里へ行くが、遺族の反対運動のため実現せず。

    1972               富士短期大学学長に就任。(1976年3月退任。)

    1975.5             奥州大学(現、富士大学)学長に就任。(1978年5月退任。)

    1977.9             心筋梗塞のため横浜市の病院に1ヶ月間入院。

                      (集会員による聖日礼拝での代講や『待晨』誌の代筆が始まる。)

    1978.6             高血圧による脳梗塞のため倒れて入院。

                      (この頃から礼拝担当と『待晨』誌執筆の分担制が定着。)

    1981.3.30           東京都立養育院附属病院で死去。

                      (酒枝没後も、「待晨集会」は、単一指導者を置かず集団責任体制のもとに継続。)

    1982.4             『真理への出会い―酒枝義旗追悼文集』刊行。

                     

                  〔下記の参考文献に基づき作成〕

              参考文献:『さまよう魂の告白』.待晨堂. 1962.

                          「山あり谷あり〈略歴〉」(327~339頁)および同書内の記述。

                        『酒枝義旗著作集』(11、12、13巻). キリスト教図書出版社. 1979~1981.

                          上記3巻内の記述。

                        『真実への出会い ―酒枝義旗追悼文集― 』. 酒枝義旗追悼文集編集委員会 編. キリスト教待晨集会. 1982.

                          「酒枝義旗略歴」(601~606頁)および同書内の記述。

                        『無教会史Ⅲ』. 無教会史研究会 編. 新教出版社. 1995.

                          「酒枝義旗」(178~185頁、執筆:島岡 譲)

                        『無教会史Ⅳ』. 無教会史研究会 編. 新教出版社. 2002.

                          「酒枝義旗」(47~51頁、執筆:島岡 譲)

 

                                                                      [酒枝義旗 目次]   [ホームページ]


 主要信仰著書

               『酒枝義旗著作集』(全13巻). キリスト教図書出版社. 1978~1981.

               『新しき人の出現』.第一公論社. 1942.

               『さまよう魂の告白』.待晨堂. 1962.

 

 参考文献

               『真実への出会い ―酒枝義旗追悼文集― 』. 酒枝義旗追悼文集編集委員会 編. キリスト教待晨集会. 1982.

 

                                                           

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