無教会主義キリスト教とは

 

無教会主義キリスト教とは、内村鑑三の提唱したキリスト教の信仰と主張です。

 

 


 内村鑑三

          「無教会」は教会の無い者の教会であります、即(すなわ)ち家の無い者の合宿所とも云(い)うべきもので

          あります、即ち心霊上の養育院か孤児院のようなものであります、「無教会」の無の字は「ナイ」と訓(よ)

          べきものでありまして、「無にする」とか、「無視する」とか云う意味ではありません、‥‥‥

          真性(ほんとう)の教会は実は無教会であります、天国には実は教会なるものはないのであります、‥‥‥

          監督とか、執事(しつじ)とか、牧師とか教師とか云う者のあるは此世(このよ)限りの事であります、彼所(かしこ)

          には洗礼もなければ晩餐式(ばんさんしき)もありません、彼所には教師もなく、弟子もありません。

              ‥‥‥‥‥‥‥‥

          神の造(つく)られた宇宙であります、天然であります、是(こ)れが私共無教会信者の比世に於ける教会で

          あります、其(その)天井(てんじょう)は蒼穹(あおぞら)であります、其板に星が鏤(ちりば)めて有ります、其床は

          青い野であります、その畳は色々の花であります、其楽器は松の木梢(こずえ)であります、其楽人(がくじん)

          森の小鳥であります、其高壇(こうだん)は山の高根(たかね)でありまして、其説教師は神様御自身であります、

          是(これ)が私共無教会信者の教会であります。

            

              〔内村鑑三.『無教会』誌1号社説「無教会論」.(『内村鑑三全集』(岩波書店)第9巻.71〜73頁)〕

 

                                                                                    [ホームページ]


 矢内原忠雄

          内村鑑三の無教会主義は、‥‥‥‥

          第一、彼はミッションと関係をもちませんでした。外国ミッションから金をもらわないということが、

          内村鑑三の方針であり、彼は終生(しゅうせい)それを守り通したのです。

           第二に、彼は教会をつくりませんでした。‥‥‥このような信仰以外の政治的な権力とか、

          社会的な勢力とか、経済的な財産のようなたぐいのものをいっさいもたない。そういうことに

          煩(わずら)わされないということが、無教会の一つの特色であります。信仰だけ、信仰のことだけ、

          それ以外に守るべき勢力というものはない。‥‥‥‥

           第三には、サクラメントをおこなわない。洗礼その他のサクラメントをおこなえば、どうしても

          集まりが制度化して、制度教会となるのです。‥‥‥人はキリストを信ずるそのことだけで

          救われる。信仰だけで救われるという信仰に徹底したのであります。

           第四には、無教会には僧侶・牧師のごとき専門的な職業的宗教家がおりません。‥‥‥

          すべての信者が伝道の責任をもちます。無教会の者は、必ずと言ってもいいくらいに、自分の

          周囲に聖書を中心とする小さい集まりをつくります。‥‥‥すべての伝道が平信徒(ひらしんと)伝道

          なのであります。

           第五に、無教会は聖書を重んじます。無教会の伝道は聖書講義であり、無教会の集会は

          聖書研究の集会であります。‥‥‥おのおのの信者が聖書によって直接に神から真理を学ぶ

          ことができる。いかなる権威の媒介(ばいかい)をも必要としない。‥‥‥

           第六に、‥‥‥無教会の信仰は聖書的、すなわち正統的であります。その根本的信仰は、

          キリストの十字架による罪のあがないと、肉体の復活と、キリストの再臨による神の国の完成を

          信ずることであります。‥‥‥‥

           第七に、‥‥‥‥社会の問題について自己の利益の立場から発言するのでなく、神の御言を

          語るという預言者的立場に立つことができるのです。すなわち真に自由独立な信仰の立場から

          政治の腐敗を糾弾(きゅうだん)し、社会の不義を批判いたします。

           第八に、無教会は日本人の頭と心、口と手と足とをもって、イエス・キリストの純粋な福音を

          聖書から直接に学びかつ伝えるものでありまして、外国人の頭と外国人のことばでキリスト教を

          受(うけ)売りするものでありません。

                                 〔矢内原忠雄著『内村鑑三とともに』(東京大学出版会)476〜478頁〕

 

             彼(内村鑑三)の無教会主義というのは、要するに罪のゆるしの福音の一つの応用であると

           私は思います。人が罪をゆるされるのは、イエス・キリストを信ずる信仰によってであって、

           いかなる律法の行いにもよらず、いかなる制度的礼拝によるを要せず、ただキリストを信ず

           る信仰だけでいいんだということが、彼の無教会主義の意味だと思います。

                           〔矢内原忠雄著『内村鑑三とともに』(東京大学出版会)533頁〕

 

                                                                                      [ホームページ]


 黒崎幸吉

           要するに無教会主義の特質は、単に教会組織を持たないとか、洗礼晩餐などの必要を信じ

           ないとかいう消極的な方面だけではなく、その積極的方面として、その信仰が生命的であり、ヨ

           ハネ的である点を考慮に入れなければならないということである。

            この意味と観点から無教会主義を反省検討して見るならば、大体左のごとき諸点に要約する

           ことができる。

            (第一) に無教会主義には一定の教理や信条として固定しているものがなく、各人全く自由な

           立場に立つにもかかわらず、その信仰の内容は聖書的正統的であり、大体において各人が驚く

           べく一致しているという点である。すなわち聖書は神の言であると信じ、また、聖書第一主義をと

           り、その研究に全力を集中する。そして聖書を通じて神の生命に接し、神の生命を自分に受けて

           神の御旨を実行し、神の御旨に生きる事に信仰の中心を置く。

            したがって無教会的信仰は、聖書全体を機械的に神の言であると信ずるのではなく聖書を活け

           る神の言、すなわち活きて在し給う神の生命の自己表顕と信じ、聖書を研究することによって、こ

           の聖書に自己の本質と意思と行動とを表顕し給うた神御自身を見出し、これによって神の生命に

           接し、遂には罪の自己を十字架上のキリストに見出し、そのキリストの生命を自己の中に見出すに

           至るのである。すなわち無教会的信仰は、神の生命が自分の中に生きている信仰である。

            (第二) ‥‥‥‥‥無教会的信仰は強いてこれを神学的に表顕するならば、保守的、正統的で

           あって、いわゆる自由主義的(リベラリスム)、近代主義的(モダーニスム)ではない。信仰を箇条書きにして

           そのおのおのを信ずるや否やを訊さない。ただ信仰によって新たに生まれた人はその生命それ自

           身をその生活のすべての場面に、具体的に実践的に表顕されるはずであると考える。したがって

           聖書の教訓を律法的機械的に実践すべきものと考える律法主義に陥らない。要するに無教会主義

           は、一見自由主義のごとくに見えるけれども、その自由は人間的自由ではなく、神の生命に在って

           生きる自由であり、他方また無教会主義はいわゆる正統主義(オーソドックシー)のごとくに見えるけ

           れども、信条や教理に器械的に束縛されない。‥‥‥‥‥

            (第三) 無教会主義者は、その信仰の外的表顕、すなわちその言語や行為による表顕においては、

           極めて多種多様の変化の存在を認容する。その故は信仰は生命であって、生命はあらかじめ規定さ

           れた形態や形式において表顕され得るものではないからである。‥‥‥‥‥‥‥

                ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

            (第五) 無教会主義は正義を重んずる点で著しく強い。‥‥‥‥‥‥‥神の生命に連なる新しい

           生命に生きる以上は、その生命の当然の表顕として、正義の行為となるのであって、この世の不義

           と同一の水準に生活することは無教会者の非常に嫌うところであることは当然である。

            (第六) 無教会は形式を嫌う。‥‥‥‥‥‥‥

            (第七) 無教会は非戦主義に連なる。‥‥‥‥‥‥‥

            (第八) ‥‥‥‥無教会者は制度的規則的教会の必要を感じない。無教会グループの内にいる者

           は皆救われていることの保証もなく、ただ各自が信仰によって主との交わりに入り主と同一の生命に

           活き主を愛して生活することの中にのみ真のエクレシアを見出すからである。神の生命がわれらの心

           に溢れ、神を愛する愛が心のすべてを支配しているならば、われらはこれ以上自己を制度や組織の中

           におく必要を感じ得ないからである。

            (第九) 無教会者はそのグループの人々に対し、誰が救われており、誰が救われていないかを決定

           しようともせず、また決定し得るものとも考えない。すべてを神に任せ切っているのである。‥‥‥‥‥

            (第十) 無教会はただ全霊前心をもって神を愛し主イエスを信じ、その御言に従いてすべてのことを

           処理し、そのために世と戦い世に憎まれ排斥され、嫌われつつ生活するのが本質である。‥‥‥‥‥

                                          〔『黒崎幸吉著作集』第4巻.273〜277頁〕

 

                ‥‥‥‥‥無教会主義は神の全体主義であります。‥‥‥‥‥‥

             第一に無教会主義は、唯一の神の支配の下に服従する全体主義であります。キリスト者はすべての

            人間の平等と自由とを主張します。しかし人間は神に対して自由であってはなりません。‥‥‥‥‥‥

            人間は絶対的に神に服従すべきであり、この服従が信仰であり、したがって神に完全に服従するものが

            キリスト者であります。

             ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

             かかる無教会主義は他の人間が自己の霊魂の支配者となることを絶対に許容しません。‥‥‥‥

            自己を支配する者は神のみであり自分はその僕だからであります。‥‥‥‥‥

             ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

             第二に無教会主義のイデオロギーとも言うべきものは、神の支配の実現であります。‥‥‥‥‥

             この神の国は如何にして実現するか、それは何ら人為的制度組織(organization)に加わることでは

             なく、神の生命に加えられて一つの有機的生命(organism)となることであります。‥‥‥‥

              ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

              第三にかかる神の支配を理想とする無教会主義は、神の全体主義であることの当然の結果として、

             その中心的信仰に反したり、またはこれを妨害するあらゆる事実に対して戦いを挑むのであります。

              ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

              殊に神の全体主義である無教会主義にとっては、神以外のものを神の地位に置こうとするすべての

             傾向に反対します。すなわち教理とか制度とか儀式とかまたは聖書の文字等を神の代りに偶像的に

             崇拝し、これなしには救われないかのごとくに主張する場合、無教会主義は絶対にこれを排斥するの

             であります。‥‥‥‥‥‥

              ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

              かくのごとく無教会主義者は、神に在って互いに平等であり、おのおの神に在って独立の存在で

             あります。それ故にそこに如何に多くの賜物の差異、使命の差異があっても、霊による一致が必ず

             出てくるのであります。‥‥‥‥‥‥‥‥

                                          (『黒崎幸吉著作集』第5巻.172〜176頁)

              

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